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ストロング小林さんが亡くなられました。享年81。

国際プロレス時代(1967~1974)は団体エースに君臨するまでになりましたが、新日本プロレス時代(1975~1984)は猪木・坂口に次ぐナンバー3に甘んじ、晩年は「外様であるが故に冷遇された」感が否めません。
正直なところ、新日本時代は「対猪木戦」以外の名勝負がほとんど思い浮かびません。

というのも、アントニオ猪木全盛期の新日本プロレスのメインエベント、特にシングルマッチの場合、タイトルマッチやリーグ戦等の決勝以外で「猪木抜き」のカードが組まれることは「ほぼあり得ない」ことでした。
なので、新日本に入団以来、ナンバー3の地位に甘んじていたストロング小林が、アントニオ猪木以外の対戦相手とシングルでメインを張る、ということはほぼ不可能だったワケです。

そんな非常に稀な試合が実現したのが 1977年7月21日、宮城県スポーツセンター での試合でした。

メインエベントは、王者タイガー・ジェット・シン vs 挑戦者ストロング小林 のアジアヘビー級選手権
ちなみにセミファイナルは、猪木&坂口の黄金コンビ vs ゴールドマン&ゴリアスの泥棒コンビというメイン級のカードが組まれていました。
恐らく新日本プロレスに参戦して以来、ストロング小林が猪木以外の対戦相手で唯一メインイベントを取ったシングルマッチだったと思います。(しかもTV放送もされました!)

試合は小林が圧倒的なパワーでシンを追い込むも、一瞬の凶器攻撃で逆転負け、だったと記憶しています。
しかし、試合終了時点でリング上に大の字になっているのはシンの方で、小林が「見ろ!シンをKOしてやったぞ!」とでも言いたげに怪気炎を上げていました。

オイラはテレビ中継でこの試合を観て、「をー、小林もやるときはやるじゃないか!」と拍手を送っていましたが、残念ながらこの試合以後は、泣かず飛ばずとなり、ついには新日本生え抜きの藤波辰巳や長州力の後塵を拝することになります。

ただ、本人的には不名誉なことかもしれませんが「新日本のナンバー3である小林が負けた試合」というのは、オイラ的にけっこう印象に残っております。

・1975年10月の闘魂シリーズ開幕戦でのミスターX(ガイ・ミッチェル)戦・・・フォール負け。
・1976年8月のブラジル遠征でのイワン・ゴメス戦・・・キムラロックでギブアップ負け。

今でこそどちらの相手も強豪選手あることは理解できますが、当時は「無名の選手に小林が負けるなんて!」と思うと同時に、無名でも強いヤツはいるんだなー、と妙に納得してしまった記憶があります。

21世紀の今日であれば、外様(他団体から新日本に移籍した選手)であっても、実力さえあればトップを獲ることができますが、1990年代以前は「生え抜きでなければトップは獲れない」という不文律は存在していたと思います。
国際時代はマッチメイカーのグレート草津に目の敵にされ、新日本時代は外様ゆえの疎外感に苛まれた不運なレスラーだったかもしれません。

しかし、1974年3月19日のアントニオ猪木との「巌流島の決戦」は日本のプロレス史に残る永遠不滅の名勝負です。
間違いなくストロング小林の名前は歴史に刻まれています。

「怒涛の怪力」に合掌。


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会場 コーヒー&ギャラリー やまぼうし   
住所 静岡市葵区辰起町8-17 電話054ー271ー1602
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▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ

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