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「問題児」シッド・ヴィシャス死去

2024年8月26日、シッド・ヴィシャス が亡くなられました。
享年64。

「え? シド・ヴィシャス なんてとっくの昔に亡くなってるじゃん!」と思った方、あなたは間違いなく正しい。
実は同姓同名(Sid Vicious)のこのお二人、前者はWWEとWCWで活躍した元プロレスラーで、後者はセックス・ピストルズのベーシストを務めたパンクロッカーで、1979年に21歳の若さで亡くなっています。
世界的にビッグネームなのは、後者の方でしょう。

ちなみに日本では、プロレスラーの方を「シッド」、ピストルズの方を「シド」と表記しております。参考までに。

▼ 日刊スポーツの記事
アントニオ猪木、藤波辰爾らと対戦の元WWF王者シッド・ビシャスさん死去 63歳

さて、このたび亡くなられた シッド・ヴィシャス は、1987年に覆面レスラー「ロード・ヒューマンガス」としてデビュー。実はコレ、映画マッドマックス 2に登場する悪役キャラのパクリだったりします。

その後、マスクを脱いで素顔となり、シッド・ヴィシャスに改名。ベビーターン、ヒールターンを繰り返し、1989年に新日本プロレスに「ヴィシャス・ウォリアー」のリングネームで初来日。
初来日にもかかわらず、来日第一戦でいきなり 藤波辰爾 のIWGPタイトルに挑戦。もちろんメインエベント。

このとき、テレビ中継の解説を務めていた 山本小鉄 が、リングに立ったシッドを見て、興奮気味に叫びました。
「古館さん(実況アナ)、この人は近い将来、間違いなくチャンピオンになります!」
その予言どおり、後年、WWFとWCWの世界王者になり、一時期は ハルク・ホーガン の後継者として期待されていましたが、専門誌の記事によると、とにかく素行不良、精神不安定であることが問題視されていて、結局、両団体から解雇されてしまうというミソを付けてしまいます。

2000年以降はプロレス専門誌に取り上げられることもなくなり、文字どおり忘れ去られた存在となっていました。
正直なところ、オイラはとっくに死去していたように勘違いしていたので、今回の訃報を知って、「あ、まだ生きてたんだ。」と不謹慎な感想を抱いてしまった次第。

ハッキリ言って、日本のプロレスファンの記憶に残る前に自滅してしまった「自業自得」感は否めませんが、前述のとおり、慧眼・山本小鉄 の目に留まった、その大器ぶりをもっともっと発揮させて欲しかったです。
アメリカ版「エースになりそこねた男」に合掌。



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▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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