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1977年12月15日、蔵前国技館

2023年8月23日、プロレスラーの テリー・ファンク さんが亡くなられました。享年79。
昭和プロレスファンなら知らない人はいない、知名度100%のレジェンドレスラー。

80年代頃までは全日本プロレスに参戦し、外国人ベビーフェイスとして絶対的人気を博す。
90年代頃からはFMWに参戦し、同リングで経験したデスマッチをECWに輸入し、ハードコアの始祖としてレスラーたちからのリスペクトを集める。
00年代以降はセミリタイアとなるも、老体に鞭打ってムーンソルト・プレスなどの新技修練も継続。
・・・といったところが、ざっくりとしたヒストリーになります。

日本では何と言っても、1977年12月15日に蔵前国技館で行われたオープン・タッグ選手権の最終戦 「ザ・ファンクス vs ブッチャー&シーク」の試合が有名です。
この試合を観てプロレスファンになった人も大勢いらっしゃることでしょう。

ちなみにオイラは、それほど テリー・ファンク に対する思い入れはありません。
当時のアメリカ人レスラーで「日本通」と認識された方々の多くは、日本のリング上では、日本人受けするように試合スタイルにアレンジを加えることが常だったと思いますが、テリーに関しては、特に「日本流」を意識することなく、日本のみならず世界中のどこでも「アメリカン・プロレス」を貫いたようにオイラには見受けられます。

では、テリー・ファンク最大の必殺技は何だったでしょうか。
オイラ的には、テリー最大の必殺技は「派手なやられっぷり」だったと思います。
・立った状態から前のめりにダウン。
・見境なくパンチを振り回してからの尻もち。
・ロープにもたれかかるようにダウン ~ からの場外転落。

NWA世界チャンピオンになったアメリカ人レスラーのほとんどが、オリジナルの「やられ芸」を持っていますが、その中でもテリーのやられっぷりはアタマひとつ抜き出ていたように感じます。

晩年はパンチ・ドランカーならぬ「ヴァンプ・ドランカー」になってしまったように見受けられます。

しかし、どんな相手であっても見せ場を作り、どんなデスマッチにも決して怯まない、面倒見がよく恐れ知らずの性格は、世界中のレスラーからリスペクトを集めていました。

日本を愛してくれたテキサスの荒馬に合掌。

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▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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