【No55 学びの源】

第2項 学びのために
 
実習は高齢者施設や障害者施設に行った。私は、4回生で、実習に行ったため、周りは知らない人だらけであった。そして実習先も1人であり、しかも周りは、卒論や就活、国試で忙しかったため、頼ることはできなかった。

だから、自分自身で考えて、悩んで、勇気を出して実習に挑んだ。

 このようにフルで考えられる機会は少ないと思う。というよりその必要性はないのだと思う。

だから、自分で考えるが悩みは少ない人がいた、り、もしかしたら、自分で考えることが不足している人もいるかもしれない。

この勇気を出す行動が、僕は想像力の源だと思う。いろいろ勉強して、わからないことを質問する際は、その質問の答えに対して答えられなかったらどうしようと思うと思う。そこにその職員の方の状況を考える必要も出てくる。今は手が空いてるか?忙しくないかなど考える必要がある。

しかしながらこれらを考えるあまりに質問できなかったら、それは実習の60%は無駄にするかもしれない。また、実習日誌もしっかり書かないと、成長の機会が少なくなるかもしれない。

 1人で考えまくると、そういうことをやっぱり考えてしまう。だからこそ、実習は名一杯やり良い実習になった。

このいろいろ考えた過程はそれだけではなかった。他者がいろいろなことを考えている過程が見えてくるようになった。

だから、他者の支援時にはこういうことは話さないでいようとか考えるようになった。

実習では、利用者の行動を観るではなく、話をして生活を観るということを教わりました。

利用者の行動からその人の思いや気持ちはわからない場合もある。(この実習の場合、行動では障害特性はわからないということ)

生活を観るということは、おそらく生活でどういう生き方で、何が好きで、阻害していることは何かが観ることだと思う。

ただ、僕は、生活を観るとは、行動を観るよりもいろいろ考えないといけないと思います。利用者を支援して利用者の生活が良くなれば良いが

関わり方によれば、利用者が混乱して生活をともにする親御様や祖父母にも影響が生じます。また、祖父母がデイサービスなど介護保険のサービスを受けていれば、利用者の混乱から、祖父母にも悪影響になり、デイサービスを休みがちになり健康状態にも影響を与えるかもしれません。

なので、生活を観るとは、いろいろ考えることが必要です。また、どうしても人が関わるので、その人の思いを想像したり、考える必要があります。

実習で生活を観ることを学びました。これは同時に他者の気持ちを想像することでもあります。

実習では、いろいろな人と関わるため、人の気持ちを考える機会が多いです。でもこの経験は、成長に繋がりますし、将来役に立つものです。

 七夕か。将来は、結婚、大学院、地域の変容など夢を叶えたいとは思う