忍者のルーツ

日本と言えば忍者みたいなイメージを
外国の人から持たれているのは、
ナルトという忍者アニメがヒットしたからなのでしょうか?
逆に忍者を描いたからナルトがヒットしたのか。

わしぐらいの年寄りとなりますと、
忍者と言えば白土三平の漫画になります。
小学校の低学年ごろ、サスケとか忍者武芸帳とカムイ外伝とか。
今思えばけっこう残酷な描写も多かったのですが、
かなりハマっていましたね。

さて、では忍者のルーツとはなんなのでしょうか?
個人的には、修験者と忍者というのが関係が深いように思います。
山の中で修行をして超人的な力と技を身に付けたり、
修験者同士のネットワークをつかって情報をやりとりしたり、
そういうことを専門やるようになって忍者になっていったのではと。

修験道の開祖は役小角といわれていますが、
伊賀には役小角を開祖とする寺であるとか修験道ゆかりの寺とかが
いくつもあったりしますよね。

修験者というのは昔から一般の人から見ると謎の多い人たちであったと
思われます。天狗という妖怪は修験者(山伏)のなれの果てであるとか言われます。
鞍馬の山の烏天狗などは、修験者の事ではないかと思います。

わしは、思うに鞍馬の山で烏天狗を相手に修行をした源義経は
忍者のルーツだったのではないかと思います。
今日の五条の橋の上での弁慶を相手にした身軽な立ち回りや
壇ノ浦での八艘飛びなど、忍者めいた身のこなしですし。

平家物語の時代に忍者の萌芽があったというのは、
義経ばかりではなく、
木曽義仲が義経に打たれた後、義仲の家来だった仁科大助が、
義仲亡き後伊賀に流れて戸隠流忍者の開祖になったとか、
平家物語の美しい武士合戦の裏に
初期の忍者同士の闘いもあったのかもしれないと
想像するのです。



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