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わたしの優しいセバスチャン

我が家の2階には私の仕事部屋と夫の仕事部屋がそれぞれあり、夫はコロナ禍以降ずっとリモートで仕事をしている。今でも会社へ出勤するのは週に1、2回だ。
人がいる空間で仕事や生活をすることに慣れない私は(たとえ部屋が別々であっても)、夫のリモートが決まった時は本当に嫌だった。心から歓迎していなかった。何のためにフリーランスになったのかわからん!とまで思った。時々発狂して、夫を無理やり会社へ行かせることもあった。

しかし、いまとなってはリモートに、夫の会社に感謝している。
それは2022年の春頃から急激に体調が悪くなり、寝込む日が増えたからだ。そして、治療が始まって、ますます「夫の存在」が欠かせなくなってきた。コロナ以前のように夫が「日付が変わってから帰宅する」ような生活だったら、病院への送り迎えや家事など、一体どうしていたんだろうかと思う。
月の半分くらい東京出張をしていた時期もあったが、今もしそんなことになったら、不安でたまらない。病気は人を弱気にさせるものだと改めて思うし、現実的な話、一人ではできないことがたくさんあるのだ。

私はしんどい時はいつも1階リビングの横にある和室に布団を敷いて寝ている。朝、夫は2階へ上がる時、「何かあったらすぐ呼ぶんやで」と言ってくれる。ただ、朝から晩までほとんど誰かと打ち合わせか会議をしているので、よほどのことがないと呼びにくい。それに、「よほどのこと」があった時には、2階まで届くような声は出ないだろうと思う。

寝ている時、とんでもなくお腹が痛くなり、「薬を飲みたい」「湯たんぽがほしい」と思うことがある。でも、動けないほど痛い。布団の中で悶えて苦しみ、それでも薬を飲まなければと、なんとか薬を取り出して、水を持ってきて飲む。たったそれだけのことが死ぬ思いでやらなければならないこともある。
そんな時いつも思っていたのだ。
私付きの召使い(執事)がいたらいいのに、と。

子どもの頃に読んだ「ちびまる子ちゃん」で、まる子が微熱を出して学校を休むが、すぐに元気になり、布団の中でほくそえんでいる場面を思い出した。まる子はここぞとばかりに手を叩き、「おかあさんや、ちょっと来ておくれ」とお母さんを呼びつけ、いろいろ用事をいいつける。
あれだ。あれがやりたい。
一時は本気でうちのオカンに来てもらおうかと考えたこともあった。あの人は元気の塊だから、何でもしてくれるだろう。
「お母さん、薬~」
「お母さん、お水~」
「お母さん、湯たんぽ~」
そう言えば、「はいはい」と嫌な顔もせずにせっせと私の世話を焼いてくれるに違いない。
50歳を超えたいい大人が本気でそんなことを考えるほど、切羽詰まっていた。

治療が始まって、初めて高熱を出した日、私は痙攣に近いほど体をブルブル・ガクガクと震わせた。その瞬間は夫は2階にいたのだが、しばらくして下りて来た時に私が熱にうなされ、渡されたコップも持てないほどブルブル震えているのを見て、夫はかなり焦った。
「なんかあったら呼んで」とは言っていたが、こんなことがあったら「呼ぶ」どころじゃないということにようやく気づいてくれたようだった。

その後日、「いいもの買ったよ」と何やら私に四角いものを手渡した。ボタンのようだ。
「押してみて」と言うので押してみたら、2階の夫の部屋から音が流れ始めた。呼び出しベルだった。
「なんかあったら、これ押すんやで。そしたら、すぐに飛んでくるから」
そう言って、にこにこ笑った。「もう安心やろ?」と。

左が私の持つボタン
右のは裏にコンセントが付いている
右のから音が流れる


それ以来、私はこのベルを使っている。押すと、どうしても抜けられない会議などの場合以外は、本当に夫はすぐに飛んでくる。
仕事中なのはわかっているので、さすがに私も本当に困った時しか使わないが、これがあると安心だ。
初めて使ってみた時はちょっとワクワクした。
「どうした、どうした?」と夫が階段を駆け下りてきて、「お腹痛くて死にそう。お薬飲みたい」と言うと、すぐ薬と水を用意してくれた。
ありがたい。
「また何かあったら鳴らすんやで~」と言いながら階段を上がっていく夫に「ありがとう~」と感謝しつつ、私は心の中でこう思っていた。

セバスチャン……。
ついに、私のセバスチャンを手に入れた。

セバスチャンとは、「アルプスの少女ハイジ」に出てくるクララの家の召使いの名前だ。
現実には自分のまわりに召使いがいるような家はなかったし、「召使い」という存在を生まれて初めて知ったのが「セバスチャン」だったから、私の中で「召使い」=「セバスチャン」なのである。

でも、あんな人のいい夫でも、さすがに私がセバスチャン扱いをしていると知ったら怒るだろうなぁと思った。これは私の心の中だけのこと。そう思ったが、ある時どうしても我慢できず、ベルを鳴らしてきてくれた夫に「セバスチャン」と言ってしまったのだ。
「え?なに?セバスチャン?」
「ハイジに出てくるねん。クララの家の召使い」
「俺がかおりの召使いってこと?」
「いや、召使いってことじゃないけど、呼んだら来てくれるから。ハクション大魔王とか、アラジンの魔法のランプとかと同じ」
どんな言い訳やと思いながらもそう言うと、夫はなんだか納得したようで、「ふうん。じゃあ、何かあったらセバスチャンを呼んでな」といつものように笑って2階へ戻っていった。

布団の中で手を合わせた。
神様!!
私みたいな人間に、あんな素晴らしい人を夫にしてくださって、本当に本当にありがとうございます!!
私にはもったいない人。
今、夫は会社の新事業で子会社の立ち上げに関わっている。夫はその子会社の代表取締役社長になった。今までの仕事も変わらずやっていて、目が回るほど忙しいのに、家では私の面倒をみて、セバスチャンにもなってくれる。
それでも嫌な顔ひとつしないのだ。

最近は自分でセバスチャンの自覚(?)が出てきたようで、自分のことを「セバスチャンがやっとくから」とか「セバスチャンの仕事やから」とか言うようになった。
私が何か頼む前に、先回りしてさっとやってくれることもあり、
「すごい!セバスチャンからフランソワに格上げしようか?」と言うと、のりのりで、「そうやなぁ、先回りできるようになったらフランソワやな」と言ってくれる。
(注:フランソワは、漫画「Dr.STONE」に出てくる、完璧な執事)

そんな生活だから、今の私は夫のおかげで生きていると言っても過言ではないのだ。
早く元気になって、またいろんな料理を作ってあげたい。もっと仕事に集中させてあげたい。何より心配事をなくしてあげたい。
夫が何かしてくれるたびに、強くそう思うのだ。

ちなみに、最近夫は呼び出しベルのことを自分で「セバスチャンコール」と呼んでいる。
「何かあったら、セバスチャンコールしてな」
そう言って、今日もまた忙しくバタバタと2階へ駆けあがっていくのだ。

セバスチャンの得意料理
キーマカレーは絶品!!

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