秋の夜は涼しいのでセンチになる

老人の潤んだ目を見たのは人生で2回目だった。

1回目は母方の祖父が認知症になる前。
脳梗塞で倒れた時の事だ。

手を揉みながら何度も「みー子(あだ名)…みー子(あだ名)…」と私が居ない方を見ながら、私を呼ぶ。

後遺症により、全盲になってしまったのだ。
もう私の振袖姿や、同居する孫の姿さえ見ることが出来ない。「公園に連れてった時の姿が浮かぶ」と漏らした祖父に「その後はパチンコ屋とか、雀荘に行ったよね」と返せば、もう何もうつさない瞳に涙が溜まった。

祖父の手は私の手の大きさを確かめるように何度も念入りに揉んだ。形を忘れないように、覚えようとしていたのかもしれない。

それが、1回目。

そして、2回目

老人は

「今、死んでしまいたい」
と言い、瞳を潤ませた。

私はこの老人と15。いや、20年程の付き合いになる。きっと私の記憶が無い頃からお世話になっていただろう。

老人の名前は鈴木さん(本名)
私達は伝統行事に携わっており、そのグループの仲間である。年齢は40以上離れているだろう。だが鈴木さんの子供好きの性格からか、到底可愛いとは言い難いクソガキの私にもとても気さくに仲良くしてくれた。

一時期私はその活動から離れていたが、急に戻ることにした。仕事に慣れたというのもあるし、やっぱりなんかそういう活動してんのってかっこいーじゃん?っていう下心が大半だった。

私が戻ったことを、皆歓迎してくれたが、鈴木さんは1番歓迎してくれたように思う。
最初は私の変わりっぷりに誰だかわかっていなかった様子だったが、名を明かせば目と口を大きく開け、そのまま口角があがり感激の抱擁までしてくれた。「よく戻ってきてくれたねえ」と手をブンブン振り、それセクハラ!って野次によりパッと離れたが。

聞くところによると、年々人数が減っていってるのだという。確かに私の同期も、一個下の仲良くしていた連中もいない。
さらに、コロナによって発表機会の減少により皆熱意が消え、心が離れていってしまったのだ。

…そして、私が帰還して1年ほど、ようやく発表機会が設けられた。実に3年ぶりだ。
前回より、規模は縮小してしまったが披露できることが嬉しい。皆その気持ちで挑んだ。
結果としてはまあ、3年ぶりだったもので各々反省はあったみたいだが、客の盛り上がりは上々であった。

そして、コロナ前では恒例であった打ち上げも、これまた小規模にひっそりと行った。
そこで私は鈴木さんと向き合う形の席へと着いたのだった。
まさか一緒に飲める日が来るとはと茶化しながらビールで乾杯する。しばらくは仕事の話だとか、日常的な会話だった。

そして少しほろ酔いになってきた頃、鈴木さんは言葉をこぼしたのだ。
「みーちゃん(あだ名)はすごいね。」
「僕はあんなに上手に踊れない。お客さんを楽しませられない。」

呂律が回らないし、元々老人だけあって凄く聞き取りづらかった。
だが何とか聞き取ると、鈴木さんが初めて私の前で弱音を吐いたのだ。

正直言って、鈴木さんについて周りの評価は高くない。属する伝統行事では、色々な楽器で演奏するものであるが、そのどれもが下手で、尚且つ注意しても直らないと苦言を零しているのをよく聞く。

実際何度も注意されてるのを見たが、すみませんとへらっと笑って結局治らずじまいって事は何度もあったが、それでも鈴木さんは弱音を吐かず、ずっと練習しに来ていた。

そんな鈴木さんが諦めのような言葉を呟いたことに、悲しくなった。鈴木さんに対する失望ではない。ただ、ひたむきな鈴木さんがそう自虐してしまう事が心苦しかったのだ。

「鈴木さんには鈴木さんの役がある」

私と鈴木さんのグループでの役割は同じ、舞である。
お面を被り音楽に乗って踊る。
被る面の絵によってキャラクターを、踊りを使い分けるのだ。

「私は鈴木さんみたいに子供を泣かせられない」

私は小柄かつ丸いので、愛嬌のあるキャラを

鈴木さんは背が高く、意外とガタイもいいので怖いキャラを演じる。

我ながら月並みな言葉だけど、言葉ベタな私には「鈴木さんには鈴木さんのいい所がある」としか言えなかった。

「…手がね、動かないの」
「久々に踊ったからかな?客が怖くてさ。」

「…だからさ!堂々と踊れるみーちゃんは、すごい!」

普通の人は、飲み会の場であれば、まあね〜!とか、そんな事ないです、で受け流すものなのだろうか?
そんな事が頭によぎったが、私はこれ以上鈴木さんの価値を貶めたく無かった。

「それは鈴木さんのおかげだよ」

「僕!?なんでさ?」
「ろくに教えられた事だってないのに!」

私達のグループでは、楽器のお稽古はある。
だが、踊りについてはほぼない。
だって、誰かから教わった人が居ないのだから。

「私は10年以上鈴木さんの踊りを見てきたから」
「レパートリーが無いと皆に言われる自信満々の踊りを見てきたから、私も堂々と踊れたんだよ。」

私もお酒の力で思ったことが全て出てしまったようだ。

少しの沈黙。
「僕、」
「今死んでしまいたい」

赤い顔。目を潤ませ、ハッキリと聞こえた声。
もう私は満足したので葬式にはまだ早いっすよ〜とおどけてみせた。私の隣に座るおじさんにも「よかったね!こんなこと言ってもらえて!」って野次を飛ばされる始末。

…結局鈴木さんは酔いつぶれて人におぶられながら帰って行ったそうだ。

私は実の所、今まで凄く嫌なことがあっても死にたいとはあんまり思わないタイプだった。
むしろ、こんなにも私に嫌な思いさせる方が悪いのでお前を56してやるからなみたいな気持ちで生きてきた。

今回の一件で、私は死にたいと思うことを強く願うようになった。
きっと鈴木さんは喜びのあまり死にたいと言ったのだ。
仕事して、嫌な気持ちになって、ゲームして、虚しくなって、誰かと会って、楽しいけど空虚な気持ちを抱える日々で、私も、死にたいと思えるほど嬉しいことに出会えるのを期待するようになったのだ。

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