見出し画像

国際女性デーに「男性も」と絡んでくる企業と男性に向けて

※全ての男性をひとくくりに非難している内容ではありません。
※久しぶりの文章でだいぶまとまりがなくて読みづらいかもしれません。


■国際女性デーを女性だけの日にさせまいとする社会

女性の話になると女性以外の属性に忖度する企業の現象、私は今年たびたび目にした。

画像1

画像2

画像3

・デニーズの「女性を含むすべての人」(それってもはや人類デー)
・北海道新聞の「女(男)だから」(男性デーの日も同じことをするのか?)
・明石市の元男性を含む表現(LGBTプライド月間でやってほしい)

なぜ365日の中のたった1日だけでも「女性だけ」の話ができないのか。

これが個人だけでなく冒頭に載せた企業アカウントの発信にも見られるのが、人権意識とかいう以前に精神が幼稚すぎて頭が痛い。

理屈で考えたら「そんなにも子供みたいに未熟な男性」が結構な割合を占めて統率する今の日本社会が成熟しないのは当然の話だ。

■「自分を差し置いて幸せになるのは許せない」という心理

「女に権利を与えるなら男にも同じだけ与えろ」と
「男も辛いんだから女も辛いままでいろ」は根本が同じだ。
大元になっている男女差が見えていないのである。

一部の男性にとっては女性だけ優遇されているように
見えるから、今の構造を温存させたくて水をさしたいのだと思う。

でも「自分が不幸だから幸せそうな人が憎い」という発想は、誰も幸せにならない。
そういう人にとっては他人が幸せになるくらいなら全員で不幸になるほうがマシなんだろう。

■声をあげる女性を攻撃する人たち

幸せになろうとする人間の足を引っ張っているうちは
イジメも差別も無くならない。
無神経で横暴で権力のある人間だけが得をして、
精神や肉体の弱い人間は男女関係なく搾取され続ける。
この格差が拡大するだけだ。

声をあげる女性を見かけてイライラをぶつけたら、
その場はスッキリするかもしれない。
だが根本的な問題は何も解決しない。
それどころか弱者同士で消耗していけば
強者男性に有利な社会になって追い詰められていく一方だ。

■国際女性デーに乗っかってくる男性の心理

男性特有の問題を男性だけで解決しようとせず、
国際女性デーのほうが注目されているから
「じゃあ男性も!」と乗っかってくる問題の根は深い。

国際女性デーというワードを出すと、
「男性のことは無視か」「女性ばかり優遇するな」と
批判される。

だが、批判する男性のほとんどが11月19日に「国際男性デー」が存在することを知らず、とにかく女性が声をあげることに文句をつけている。

私などは、今日「国際女性デー」という単語を出したツイートに対してなんとわずか5分でクソ引用RTがついた(返信機能は基本的に閉じているので引用でクソリプがつくようになった)。

もちろん全ての男性がそうだとは思っていない。
だが、文句をつけるだけの男性は決まって他力本願だ。
なぜ自力で解決しようとせずに女性を頼ろうとする?
男性社会に物申すのは怖いからなのだろうか?

強い存在より弱い存在のほうが言いやすいのかもしれないが、それじゃ根本的な解決にはならない。

■男性の生きづらさに男性が関心を持つべき理由

パワハラもセクハラもブラック労働も、
それによる失業も自殺率の高さも、
雇用主や経営者のほとんどが男性なのに
(もちろんそれらは女性にとっても問題だし、
無くさなくてはならないと思っているが
男性の当事者の方が多いだろう)、
男性自身が声をあげなければ降りかかる問題が存在しないことになってしまう。

私は実家で経営の経験があるので
雇う側の心境を経験しているのだが、
労働者が不満の声をあげないことは
特にブラックな職場環境の経営者にとっては
労働者の想像以上に都合が良い。

従業員を単なる労働力としか見ていない側は、
なるべく弱者同士で足をひっぱりあっていてほしい。
昔の労働争議のように連帯されたら困るのである。
それは労働者側にとって癪な話じゃないのだろうか?

男性はなんで自分の問題に向き合わないんだろう?
なんでもっと自分を大事にしないんだろう?

折に触れてそう感じている。
男性が女性の生きづらさについて軽々しく「〜すればいいのに」ってクソバイスするたび、私は男性に
「自分の生きづらさに向き合って声を上げればいいのに」
「男性も男性に怒ればいいのに」といいたくなる。
客観的に見て、男性は女性の足をひっぱっている場合じゃないと思う。

私は女性だから、女性特有の問題で精一杯だ。
男性の具体的な生きづらさについては正直よく理解できていない。男性当事者にしか見えない問題がたくさんあるだろう。

だからもっと言語化して問題提起する男性が増えたら、それはどちらの性別にとっても生きやすくなるに違いないと思っている。

■男性が自分の感情に向き合えない社会的な要因

日本は無宗教の人が多い。
特にオウム事件以降、宗教に対する忌避感が強い。
欧米に比べて男性が女性よりもカウンセリングを受けないのは、キリスト教の告解のように「弱さを吐き出す文化」が無いことも一因なのではないか。
つらさ、苦しさ、怒りなどのネガティブな感情を言語化する習慣がない。
多くの男性に見られる「感情を言語化し、表出するのが苦手」という特性に加えて「弱音を吐いていい」という環境が整っていないから極限まで抑圧される。
その結果、自殺・他害の多さに繋がっているのではないかと私は推測している。

「なんで女性みたいに声をあげないの?」と言われたら「何も知らないくせに!」と反発するかもしれない。

ならその「女性が知らない男性の生きづらい部分」を
煮詰めて言語化して、ぜひ個別に発信してほしい。
誰にも需要がないなんてことはない。

少なくとも、私はもっと男性を理解するために知りたい。

私は女性で共感能力の低い発達障害があるので、
同性の心境には共感しやすいが
男性の気持ちを察することがとても苦手だ。
はっきりと言語化されないと、理解したくてもできない。

私に限らず全ての人間はエスパーではないので、
言葉にしないと誰にも伝わらない。

しかし国際女性デーに便乗して「男性だって!」と
乗っかることは完全に逆効果で、どんなに良い意見だとしても誰も耳を貸さないだろう。
適切なタイミングではないからだ。

物事には全て、TPOが大事だ。
発信するタイミング、場所、どんな流れなのか。
伝わるように伝えないと、伝えたいことは伝わらない。


これを読んだ1人でも多くの男性が、
今年の11/19の国際男性デーに声をあげてくれることを願う。

いただいたサポートは私の精神的な回復(PTSD治療費)に充てさせていただきます。