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他人を傷つけた痛みは自分に返ってくる

富岡すばる氏のこの記事を読んで、私もセクシャルマイノリティの一人としてものすごく思い当たったことがある。

■同性愛嫌悪と蔑視に溢れていた1990年代

90年代までテレビのバラエティ番組では、男性同性愛者が面白おかしくネタにされていることが普通だった。テレビでそうなのだから、世間の反応も同じようなものだった。「ホモ、ゲイ、オカマは気持ち悪い」それが一般的な意見だった。

私は男性も女性も性別を問わず恋愛感情を抱くパンセクシャル(バイセクシャル)である。90年代当時は中学高校生で、そして自分自身が同性にも恋愛感情を抱くことに気づいたのは中学三年の時だった。
厳密に言うと、中学二年の時に同性を好きになった。でも同性に恋愛感情を抱いていると気づき、受け入れることに一年もかかった。

一年間、ずっと自分自身を否定し続けていた。
「自分が同性を好きになるはずがない」と。

自分自身の中に同性愛者に対する偏見とホモフォビア(同性愛嫌悪)があったから、自分で自分を否定し続けていた。
自分が当事者になることについて、長い間受け入れられなかった。
90年代というのは今よりも同性愛者への偏見が強かったので、女子校だった私の周囲でも「レズは気持ち悪い」と嫌悪されていた。

世間の風潮や、テレビや漫画や雑誌などのメディアに対して何の疑問も持たずに思考停止で流されていた。自分自身が差別と偏見の塊だった。
テレビでゲイネタが出ると何の疑問もなく受け入れ、笑っていた。
本気で面白いと思っていた。その陰で誰かが傷ついたとしても自分には関係ないと思っていた。ひどく想像力がなく、思いやりのかけらもなく、無知で無神経で傲慢な最低人間だった。

だからこそ自分も同じ同性愛者であるという事実に直面した時、受け入れられなくて苦しんだ。

中学二年の時の初恋の相手には、自分の気持ちを明かさずに離れた。
気持ち悪いと思われたくなかったし、また自分自身も「こんな自分は気持ち悪い」と嫌悪していたからだ。自分を否定し、憎み続けた。暗く陰惨な思い出だが、今にして思えば自業自得だ。
私は同性愛者を嘲笑し、差別していた分だけ苦しむことになった。



■同性と交際しても隠し続けた


高校三年生のとき、一つ下の後輩と付き合った。女子校なのでもちろん女同士である。
でも二人とも世間の同性愛嫌悪を気にして、徹底的に付き合っていることを隠し通し、一見してただの仲が良い先輩後輩にしか見えないように振舞っていた。人前では決してベタベタしなかった。女性同士は距離が近くてもバレにくい。その証拠に、私がのちにカミングアウトした友人たちからは「全然気づかなかった」と驚かれた。

でも二人とも、まだ同性同士のカップルとして社会に出て一生世間の偏見の目に晒されながら生きていく勇気がなかったし、同性カップルが受け入れられるような社会的な土壌もなかった。女性同士、経済的な問題や子供を持つか否かの問題もあった。様々な問題が降りかかり、その重さに耐え切れる覚悟がなかった私たちは将来のことを考えられず、ほどなくして別れた。

当時の彼女は現在結婚して子供がいる。もともと異性愛者寄りだった彼女にとっては、きっと今の方が気が楽だろう。

■世間体を気にして結婚も考えたが…


2000年代になり、私は20代になった。
しかし20代半ばくらいまでは「自分は異性も同性も恋愛対象にするし同性も性的対象になるけれど真の同性愛者ではない」と思っていた。

別に「異性からも同性からも好かれる自分が好き」とか、「どちらでもいいから相手が欲しい」とかそういう安直な話ではなく、本気でどちらのセクシャリティなのかわからず真剣に悩んでいた。
客観的に見れば同じだし他の当事者に本当に失礼な話だが「自分は同性愛の人たちとは住む世界が違う」と思っていた。

私は異性と付き合うことが多かったが、同性を好きになる事実を受け入れられず世間体を気にしていたということも理由の一つである。
家族からのプレッシャーもあり、結婚を考えることも何度もあった。
結局はうまくいかず異性の恋人も傷つけてしまった。異性を好きになったことは事実だけれども、結婚や出産が絡むと相手に妥協してまでの結婚までは考えられなかった。私はそうやって自分だけでなく他人も傷つけてしまったのだ。

セクシャルマイノリティをネタにして、少数派の性的指向の人たちを無自覚に傷つけていたしっぺ返しは、自分が当事者になってきっちり返ってきた。

■全ての人間が当事者になるかもしれない

セクシャルマイノリティ(性的少数者)が、他人とは違う自分の性的指向に気づく時期はそれぞれ違う。かなり早い段階で気づく人もいれば、私のように思春期になって気づく人もいるし、もしくは成人してしばらくしてからやっと気づく人もいる。

全ての人間が、いつマイノリティの当事者になるかわからないのだ。

それは事故や病気もそうだろう。人はいつか死ぬし、一生健康である保証はない。いつ自分の心身が不自由になるかは誰にも予測できない。先天性の障害であっても、随分年を取ってから発覚する場合がある。私の発達障害は30歳を過ぎてから診断された。私は19歳までは、一生元気で働けると信じて全く疑いもしなかった。

■私が差別を嫌うようになったわけ

最近ネットでの誹謗中傷が問題になっているが、顔が見えず匿名で発信できるために発言がエスカレートしてしまう人は多い。面と向かってなら言えないようなことでも匿名なら攻撃的な発言をするハードルが下がる。

そして、他人ごとだからなんとでも言えるのだ。相手が傷つくかどうかなんて想像しないからいくらでも辛辣な言葉が出てくる。

しかし他人に放ったはずのその差別的な言葉は、自分が当事者になったとき全て自分に返ってくる。

そのときに自分がどれだけ苦しむのか。
私はあらゆる面でマイノリティだが、少なくともセクシャルマイノリティになったことで「自業自得」「因果応報」を嫌というほど経験した。

自分が苦しみたくないからあらゆる差別はできるだけしないほうがいいし、他人を傷つけることは結果的に自分のためによくないと気づいた。
思いやりだのマナーだのモラルだのという話以前に、単純にデメリットが多いし非合理的だからだ。


■自分が差別している可能性を疑い続ける


ネットの普及によってセクシャルマイノリティに限らず多くのマイノリティや社会的弱者に対する差別発言が浮き彫りになり、私は直接言われたわけではなくとも傷つくことが何度もあった。

私が差別的でない保証はない。何か知らないことについてイメージだけで偏見をたくさん抱えているだろう。今だって他人を無自覚に傷つけている発言はたくさんしていると思う。

でも「自分には差別や偏見があるかもしれない」と意識すれば、少しは自衛できるのではないか。
障害者への差別、性的少数者への差別、人種への差別、性差別、その他色々な差別や偏見のほとんどは、自分が当事者になるまでは気づくことが難しい。
差別される側になって初めて意識する。
どんな痛みだって、自分が傷つくまで本当の意味では理解できないのかもしれない。

ただ、「自分がいつ差別される側になるかわからない」と自分の問題のように相手の痛みを想像することはできる。


■「悪気がない」ことは免罪符にはならない


差別に無自覚で自分を否定しながら誰かを悪気なく踏みにじっていたかつての自分よりも、色々なことに対して差別していたことを受け入れ自分の問題として向き合っている今の自分の方がはるかに気が楽だ。

悪気がないというのは一見して仕方がないように見えるが、実は最悪だ。
自覚していないからこそ、何度でも他人を傷つけることを繰り返すかもしれないのだから。

それに、差別に限らずどんな場合であっても傷つけられた側が「悪気はなかった」と言われて相手を許すだろうか?悪気がないからこそ悪質なのではないか?


富岡すばる氏のように「いつも誰かを踏んでいないか」という意識を持つことはとても大事だ。気をつけていても踏んでしまうから根が深い問題だ。
同じ性的少数者でも自分の性的指向と同じ属性の人間を否定しなければ自尊心が保てない人もいる。
それがその人の生き方だし自由だとは思うが、そういう人々を見るたびに自分自身を否定し苦しんでいたかつての自分を思い出し、他人ごととは思えない複雑な心境になる。


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