見出し画像

どういう信念で子供を育てているか/どんな子供になってほしいか

スクールカウンセリングをしたり,発達相談したり,こどもの発達にかかわる人たちと話しているとたまに聞かれる。

どんな子供になってほしいですか。

どういう気持ちで子供と向き合っていますか。(日々ね)

聞かれていつも「うーーーーーん」と悩んでしまう。自立してほしいとか,自分のことは自分でできるようになってほしいとか,しごく当たり前な回答を捻り出すことしかできない。

だって具体的な「本人の生活状況」とか聞かれた後に,突然そんな漠とした質問されるし。飛躍しすぎだろ。そもそも,子供を育てるにあたって特に信念とか,もってないし,と思っていたんだけど,ずっと頭の中で考えていて,一つあったわ。

「この人間は神様からの預かり物である」ということ。

自分のお腹から確かにでてきたんだけど,これは自分の従属物ではなく,ちょっと預けられて,ちゃんと大人になるまで育てる義務を負っているだけである。ということかな。

自他境界をはっきり分けて接しているんだと思う。無意識に。

それで,自分の持てる力の全てを駆使して,彼/彼女が成人して独り立ちできるまでの間,全力で十分な知識と経験を授けるのが私の仕事なんだと思っている。


7歳までは神の子,という言葉が昔あって,これはたぶん,昔の幼児死亡率とからんでいて,すぐ死が隣にあったからできた言葉なんだろうけど,自分の頭のなかにこの言葉がひっかかって,なぜか別解釈されて,神様からの預かり物(別の古い言葉でも,この言い方はあるけど)と理解されたのか,別の古い言葉でも子供は神様からの預かり物,みたいなのがあるから,そっちからなのかはよくわからない。

信心深いわけではないけれど,自分の子育ての根っこはこの言葉にあるのかなと思う。

まあだからと言って子供を叱り飛ばさないわけではないし,イライラするんだけど。


心理カウンセラーさんや,療育の担当者さんは,親の過干渉,自他境界のなさ,とかこの質問で捉えるんだろうか。無関心とかもわかるかな。どこまで意識してこの設問があるのかも謎だわ。


なので,神様からの預かり物で,他人だけど(w),彼/彼女が十分な栄養のある食事と,睡眠と,教育と,清潔な生活環境と,気に入った服をちゃんとしたサイズで着られるように,日々働いているわけです。。。学校との調整とか,友人関係の話を聞いたりね。あとはたくさんの経験をしてもらうために,いろんなところに連れて行ったりとか。

神様からちょっとお借りしているだけなので,「これまでにかかった学費を返せ」とか自分のお子さんに言う人は理解できない。預かり費用はこちらもちなんだもの。預からせてもらってるんだもの。そしてお子さんが成人して自立して全く連絡を寄越さないことを嘆く(怒る)人も理解できないかも。仕方なくない?そんなの。自立した一人の大人なんだから。(大人だから社交辞令も大事という意味ではわかるけど,怒るのはわからない)


自他境界,またはバウンダリーという言葉は最近よく聞くようになったけど,これまでもやもやしていた部分にしっかりはまるいい言葉だと思う。自分が悲しい時に子供が悲しまないのは当たり前。

(でも親の精神不安定さは子供に思いっきり影響するので,自他境界!と言い過ぎず,気をつけていきたい)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?