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雲どれもずっと完全なるかたち

このところ動き過ぎて多くの人に会いすぎたのでしょう、キャパオーバーとなりずどんとダウンしました。こうなるとひたすら感覚にやすんでもらうしかなく、リビングの床のベランダ寄りに布団を引き、寝っ転がっています。
今の季節、白くてころんころんとした花を付け香るアラビカジャスミン、葉を繁らせているマスカット・オブ・アレキサンドリアが、外界との結界を作ってくれています。たぶん。

アラビアジャスミンは5年前の冬に逝ってしまった花の好きな友人と、いつも行っていた園芸店で一緒に求めたものです。咲くと、天に向かって「今年も咲いたよ、見てる?」と声をかけます。おだやかで菩薩のようだった彼女は天へ、未熟な修羅はここに残っています。

早朝のベランダ。逆光。アラビアジャスミン、マスカット・オブ・アレキサンドリアの他にはラベンダー、こぼれ種からは金魚草とペチュニア、ワイヤープランツにミニバラ、クリスマスローズの葉、本葉の出てきた朝顔は星朝顔に江戸風情

アレクサンドリアは、病害虫に強く育てやすい種のないシャインマスカットに押され、ほとんど見ることがなくなりました。わたしは岡山の生まれ育ちで、小学校の遠足で、先人が苦労してアレクサンドリアの栽培にはじめて成功した原始温室を見ました。マスカットといえばほのかな甘味と気品ある香りのアレクサンドリアと思いながら生きてきましたので、シャインマスカットにまったく罪などありませんが、店頭に並んでいても買うことはありません。
岡山に帰省したときに駅のお土産物屋さんや実家から歩いていけるスーパーでアレクサンドリアにごく稀に出会うと、それは何千円の値が付いていても種の保存のために買う事を自身に課しています。そうしてさて、7年ほど前に食したあとの種を狭いベランダのプランターに植え、素人が植えたところで、狭苦しいプランターで十分な根も張れず実のるわけでもないけれど、どこにもアレクサンドリアがなくなったと言われたら、いつでも、ここに苗があります、と言えるようにしているのです。
種のない育てやすいシャインマスカットが世の中でスタンダードになっている様は、わたしのなかではそれ以上の意味をもってのしかかってます。種のないものがスタンダードとなりゆきわたることで失われたかに見える大切なものことに思いを馳せながら、アレクサンドリアの葉の繁りを眺めます。

回復にはもう少し時間がかかりそうです。寝転んだまま限られた視界を過る雲。それは瞬間瞬間、なんの過不足もない完全なるかたちをしている。
そんなことをぼんやり思いながら、しずかな時の流れに自身を繕ってもらっています。

太陽がすこし角度を増しました。
きょうがはじまってゆきます。


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