『中くらゐの町』(岡田由季/著 ふらんす堂 2023)感想

2023年10月8日22時から、『中くらゐの町』の #句集読書会 を開催する予定です。参加に当たり、レジュメに当たる記事を作成してみました。よろしければお気軽にご参加ください。

どこにでもありそうでどこにもない町



「公民館」「市役所」「公証役場」「県庁」等、町には必要不可欠でありながらも、主役になりにくい場所や、名前のない道を詠んだ俳句が印象に残った。程よく都会、程よく田舎で、住み心地が良さそうな町。風土性が排除されており、具体的な地名を詠んだ句は「市ケ谷のホームから見る残る鴨」1句のみ。どこか懐かしい気がするのに、どの町かは特定ができない。
 
雪もよひ公民館に湯を沸かす
市役所に掛かる垂れ幕鴨来たる
揚雲雀公証役場までの道
県庁と噴水おなじ古さかな
 
“中くらゐの町”の居心地の良さそうな印象について考えるに当たり、秋の句を2句引用してみる。
 
蓋のなき水路の町や草の花
季語は草の花(秋)。やはり町の名前は伏せられている。高度経済成長期、水質の汚濁が進み、多くの水路が埋め立てられた。しかしこの町には今も水路が縦横無尽に張り巡らされている。「蓋のなき」から、水路には今も汚臭のしない綺麗な水が流れている様子を想像した。水は巡り巡って、草の花を育んでいく。
 
茶の咲いて文学館の混む日なし
季語は茶の花(秋)。文学館はたいていいつもすいている。主体はそのことが分かる程度にこの文学館に足を運んでいる。そして茶の花が咲くなど、ささやかな変化を楽しんでいる。町の句群は着眼点の良さのほかにも、主体がなんでもない一日を楽しんで過ごしている様が伝わってくる。
 

にぎやかな動物たち


「光の粒」は5章構成の3章めに当たり、動物の句によって構成されている。にぎやかな動物たちの姿が生き生きと描かれ、人間と人間以外の動植物の境界線が次第にあいまいになっていく。「雑食の我らの春の眠きこと」の「雑食の我ら」には、人間のみならず、雑食性のあらゆる動物が含まれる。人類を中心にした同心円状の世界観ではなく、人類を相対化した上で、多様な生物の一種としてみなす、非・人間中心主義的な見方の豊かさを感じた。
 
雑食の我らの春の眠きこと
色鳥の来てそれぞれに意中の木
かいつぶり毎日無理をしてゐたり
 
集まらぬ日の椋鳥の楽しさう
 季語は椋鳥(秋)。この時期、駅前等に椋鳥が大群を成してニュースになることがある。集合性が強く、市街地にねぐらを作る椋鳥の習性は、ネガティブなイメージと結びつけられがちだ。
 椋鳥も熾烈な生存競争をサバイブするために群れを成しもするが、「集まらぬ日」には「楽しさう」に見える。ステレオタイプ化(?)された椋鳥とはちょっと違って、余裕がある。
 

二人がここにいる不思議


「兄弟に見える板前」や「相談者」など、既存の関係性のラベルを貼りにくい、微妙な間柄の「ふたり」の句が面白かったので、いくつか挙げてみる。名前を知ることすらない無数の人たちと、あるいは無数の人たちが、不意にすれ違う瞬間をとらえている。
 
相談者ふたりで来たり石蕗の花
剪定の夫婦役割替へてみる
レジ係すつと交替花の冷
ふらここの双子静かに入れ替はる
 
兄弟に見える板前今年酒
季語は今年酒(秋)。板前が二人以上いることから、割烹、料亭で今年酒をふるまわれたものと読んだ。もしくは毎年訪れる旅館かもしれない。「兄弟の板前がゐて今年酒」だと面白さが台無しになってしまう。兄弟かもしれないし、そうではないかもしれない。わざわざ質問するほどのことでもないけどでもちょっと気になる、そんな微妙な心情の面白さがある。
 

私の好きな句!


最後に私が個人的にお気に入りの俳句を5句紹介する。
 
誠実な人の植田と思ひけり
納税期艶を増したる爬虫類
飛ぶ犬と飛ばない鳥を飼ふ日永
切符の穴林檎の傷とともに旅
月の夜のきれいな骨のはづしかた
 

(注) 2023/10/7 9:37 引用句に誤記があり、訂正しました。