宇宙創生・意識の量子論を保型形式から統合する試み

(要旨) 素数を元に宇宙と人間の意識を生み出せないか考えている。ピタゴラスの「万物は数なり」の現代版である。リーマン予想は素数がゼータ関数から生成されるという予想である。人間の意識を量子論で扱おうとすると、例えば活動電位を波動関数で記述する方法などが考えられる。波動関数はゼータ関数の親類関係にあるフーリエ級数(どちらも無限級数)で記述される。それらの拡張はモジュラー形式と呼ばれる。更にモジュラー形式をリー群という対称群に拡張したものが保型形式である。因みにモジュラー形式はフェルマーの最終定理(FLT)の証明で鍵となる重要な概念である。現代の素粒子物理学における標準理論では物質や力はCP対称性崩壊というメカニズムによって真空から生じたとされている。その理論の中ではリー群上の対称性を用いて量子場(物質や力)を定義する。以上の関係からゼータ関数(素数)とCP対称性(宇宙誕生)と意識の量子論をモジュラー形式・保型形式を通じて統一させる糸口がおぼろげに見えてくる。その根幹にある数学はフェルマーの最終定理の証明に使われたものである。フェルマーの最終定理はピタゴラスの定理の拡張でもある(鳥肌)。また宇宙際タイヒミュラー理論で話題のABC予想はFLTの拡張である。ここに古代ギリシャから綿々と受け継がれ、ピタゴラス、フェルマー、モチヅキ、その他多くの偉大な知性を繋ぐ糸が通っているような気もする。今は素粒子論と意識の量子論を強引にパッチワークしてみただけで、肝心の数学の中身に関してはほぼ全く理解していない。間違いなく間違いだらけである。その辺の数学マニアの中学生でも思い付くレベルだと自負している。まさに中二病とは不治の病である。

意識の量子論とフェルマーの最終定理(or abc予想)を繋げようとしている。モジュラー形式がフーリエ変換の拡張なら、波動方程式もモジュラー形式に拡張出来るんじゃないだろうか。それが大きな神経ネットワークの固有関数を求める事に役立つだろうか。

ゼータ関数とモジュラー形式(素数と神経コヒーレンス)、ゼータ関数とCP対称性(素数とインフレーション理論)との関連性を調べてみた。フーリエ級数、ゼータ関数、モジュラー形式は全て無限級数である、以上。Google検索で一発ヒットするほど予想外にstraightforwardだった。モジュラー形式をリー群に拡張したものが保型形式である。標準理論ではリー群上の対称性を用いて場を定義する。これでCP対称性とフェルマーの最終定理が繋がった。現時点では保型形式・CP対称性・ゼータ関数、その全てに関して数学の中身を全く理解していない。しかし、ど素人によるWikipediaを駆使した超絶適当パッチワークによって一応全ての文脈は繋がった。究極的に大雑把だがこれで素数・CP対称性・意識の量子論の全てを繋げる糸のキラキラした反射がうっすらと見えた。まだ何の布石も敷いていないが、何なら石を眺めるだけで手に取って持ち上げてすらいないが、宇宙の誕生(CP対称性や物理定数が決まる仕組み)、人間の意識(波動関数とモジュラー形式)、素数の生成原理(ゼータ関数)が1つのフレームワークに統合される可能性を感じ取るだけでも、数学が持つ懐の深さを実感する。これは極端な飛躍だが、宇宙も人間の意識も素数から作られているというストーリーが強引に描けなさそうな事もない。それがフェルマーの最終定理やABC予想の証明が照らす真実の顔なのかも知れない。そこに深い、無条件の愛を感じる。ヒトラーだろうと麻原彰晃だろうと731部隊だろうと影の政府だろうと、そこから排除されるものは何もないのである。聖人だろうが連続殺人鬼だろうが全ての人間の神経ネットワークが標準モデルの中に入ってしまうのである。それは宇宙誕生から人類の運命に至る、全ての命を抱擁する太母(Great Mother)のとてつもなく巨大な愛である。

保型形式の中にリー群と無限級数が入っている。リー群は場の量子論(物質と力の起源)、無限級数は波動関数(意識の量子論)とゼータ関数(素数)と繋がっている。なので保型形式に特殊な制約を加えると物質と力を記述する場の量子論が導かれ、他の制約を加えると素数を生成する規則となり、また別の制約では意識の量子論となる。意識の量子論に関しては基本的に神経細胞で生じている電磁相互作用の多体問題なので、これは標準モデルの範疇にあると考えていいだろう。ただし多体問題の波動関数を解くのにボルツマンマシンなどの工夫を加える必要がありそうである。あるいはゼータ関数とフーリエ級数との繋がりから標準モデルをすっ飛ばし、素数→ゼータ関数→フーリエ級数→波動関数→意識の量子論のパスでもいいのかも知れない。

次なる疑問は保型形式からCP対称性(あるいは超対称性)をどう接続するかという下山ルートと、保型形式からゼータ関数をどう導くかという登頂ルートである。後者は信頼と実績のWikipediaによると「ゼータの統一」と呼ばれておりラマヌジャン予想から志村ー谷山予想、ラングランズ予想へと綿々と続く数論の中心的課題らしい。まあ素数は数学の基盤なので当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが。

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