チェリまほ最終回の消化不良を文字化してみる(個人的感想)

2020年秋に最も話題になったドラマ、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」、通称「チェリまほ」が最終回を迎えました。

大前提として、私はこの作品に今年1年の苦しみを救って貰いました。
演者さんも映像も演出も大好きで、
ドラマにここまでハマったのは、人生で初。

2人の写真集も当然購入、グッズも買いましたし、
Blu-rayの予約も真っ先にしました。

だからこそ、どうしても最終話が消化出来ずにいるし、
そのモヤモヤが苦しくて仕方ありません。

私にとって文字を書くことは、自分の考えを整理することです。
よってこの記事も、私が消化出来なかった
チェリまほ最終話へのモヤモヤを昇華するための文章です。

それをネット上でわざわざ公開する意義はあるのか正直迷いましたが、
この「note」という場はきっと
絶賛の記事しか上がらないんじゃないかと思ったので、
こういう思いを抱いた人もいるという意思表示として書きます。

なぜ私が消化不良を起こしているのか。
それはもちろん、安達のファーストキスが描かれなかったからです。


ファーストキスは物語の鍵じゃなかったのか?


ファーストキスが映像で無かったと書くと
「そんなに男同士でキスさせたかったのか?」と言われそうですが、
そういう問題ではありません。

別に最後のエレベーターのように、フリでも良かった。
大事なのは、安達のファーストキスの行方なのだから。

そもそもこの物語は、主人公の冴えないサラリーマン・安達が30歳を迎え、
いまだ恋愛経験の無い童貞であるがゆえに人の心が読める魔法使いとなり、
それがキッカケで同期のエリート・黒沢からの好意を知ってしまうことに始まります。

そして第3話、居酒屋のノリで王様ゲームがはじまり、
2人はキスをさせられる流れになってしまうのですが、
黒沢はいわゆる「デコチュー」で場を納め、上手いことうやむやにします。

その後、屋上のシーンにて、
黒沢の独白「やっぱり嫌だよな、男同士なんて」から始まり、
安達の「実は俺、キスしたことなくて」という告白。

それを受けて
黒沢「じゃあ尚更良かった、俺がファーストキスじゃなくて」
安達「違うそうじゃなくって」「嫌じゃなかったよ、お前とのキス」
というやり取りからの、キス未遂事件が起きるわけです。

ここを起点に、2人は物理的にも精神的にもより近づくことになり、
安達は黒沢を恋愛相手として意識する、
黒沢は安達に「欲が出」始める、重要なきっかけとなりました。

さらに第6話にて黒沢は、
「安達と付き合うヤツは幸せだな」
「全部初めてってことだろ?すっげー嬉しいと思うよ」
「俺だったらめちゃくちゃ嬉しい」

と安達に告げ、そこからあの伝説の愛の告白に繋がります。

第7話で交際に発展してからはスローペースに関係を築きますが、
第11話で2人の心がすれ違った決定的象徴としての、
2度目のキス未遂事件=安達からの露骨な拒絶、そこからの別れ話の突入が起きるわけです。

こう振り返ると、安達のファーストキスは物語全体における伏線であり、
その行方が2人の関係性の一つの答えであると、少なくとも私たち視聴者は思ったはずです。

が、実際にそれは描かれることが無いまま結末を迎えた。
匂わせすらなく、すっ飛ばされたてドラマは終わってしまったのです。
そりゃ「なんで?」ってなりますよね。


ファーストキスは「敢えて」脚本から外した?


なぜにファーストキスを撮影しなかったのでしょう?
時間が足りなかったから?新型コロナの影響?事務所NGが出た?

最初にも書きましたが、別に本当にしなくても良いのです。
花火をバックに徐々に2人の顔が近づいて、
その瞬間に一際大きな花火がバーーーン!!でも良かった。

手を繋いで互いに顔を見合わせ、
ゆっくりニコニコする時間があったのだから、
別にその時間を使ってキスしたって良かったのにと、素人考えでは思ってしまいます。

だけどそれをしなかった。たぶん、敢えて。
ということで考えられるのは、
制作者側が最初からそのシーンを撮るつもりが無かったということです。

ファーストキスが重要、
それは視聴者が勝手に思っていた願望に過ぎなかったのかもしれません。

脚本家の吉田氏は様々な媒体を通して、
しきりに今作は「自己肯定の成長物語」「ヒューマンドラマ」とお話されていました。
合わせて「誰も傷つけない話にしたい」とも。
(今思えば予想外の反響、かつキスシーンが望まれているけどそのカットが無いと分かっているから、防御策を取っていただけかもしれませんけど)

だからこそ藤崎さんは腐女子ではなく、恋愛に興味の無い女性に、
六角君は古い価値観をバッサリと切り捨てられる若者になり、
BLだから許されるような描写も極力排除し、
ありふれた恋愛物語になるよう、描かれてきました。

素晴らしい。
これまでにありそうでなかった、令和にふさわしい現代的な表現です。

…なんだけれども、
その美学に縛られてしまったのかな、というのが個人的な感想です。

キスシーンがなくても恋愛は描ける。
あるいは安達の自己肯定の物語でヒューマンドラマだから、直接的な表現は不要。
そう思ってしまったのでしょうか?

もちろん本人じゃありませんので詳細は分かりません。
ですが、少なくとも吉田氏はTwitterで
「最後のシーンは、2人の始まりの場所(エレベーター)にしたいってずっと思ってた」と綴っています。

その脚本家としての美意識を貫きたいが故に、
キスシーンを最後のエレベーターまで引っ張ったのでしょうか?
だとしたら、本当に残念です。

29歳まで自己評価が低く、主体性の無かった安達が、
自分で掴みたいと初めて決断したのが黒沢だったとしたら、
ファーストキスは、その象徴として重要なものでしょう。

あるいは安達を通して様々な人たちの意識が変わり始め、
最終的にはそんなみんなが安達の背中を押したヒューマンドラマであるならば、
ファーストキスは、その象徴として重要なものでしょう。

ハッキリ言って、申し訳程度に取って付けたような朝チュンイチャイチャだの、
エレベーターでの社内キスだの流すくらいであれば、
よっぽどこちらの方が物語における重要な「答え」だったはず。

少なくとも2人の恋の行方を応援してきた視聴者が待っていたのは
色んな困難があったけれど、無事くっつき愛し合いましたよ、
良かったね、おめでとう、拍手喝采、をするためのお約束じゃないですか。
なぜにおざなりになったのか、本当に理解出来ません。


様子がおかしかった最終回を振り返る


そもそも、これまで緻密に丁寧に作り上げてきた「チェリまほ」なのに、
この最終話だけツッコミどころが満載でした。

例えば、別れ話からたった1日しか経っていないのに、
「俺の日常は完全に元に戻った」「毎日同じことの繰り返し」って、
さも複数日経ったような表現をしたのはなぜでしょう?
(初めての恋人との別れに1日が長く感じたと勝手に自己解釈。)

例えば、なんで黒沢は大して仲良くないであろう、
むしろ恋のライバルのような表現をしていた藤崎さんに
初デートのお店選びの相談をしたのでしょう?
(もう敵対視する必要性が無い&安達と仲が良さそうだから相談したと自己解釈。)

例えば、恋愛に興味がないゆえに、
逆に自分自身も人の恋愛に首を突っ込まなさそうな藤崎さんが
なぜ安達にわざわざおせっかいな恋愛アドバイスをしたのでしょう?
(それほど安達を心配していたんだな藤崎さん優しいもんなと自己解釈。)

他にも、あれだけ頑張ったプレゼンを浦部先輩にフォローされながら適当に聞き流す?とか
藤崎さんに黒沢の様子を電話で確認するでなく直接連絡しようよ?とか
黒沢もキスすらしてない相手にいきなりプロポーズするか?とか、
それを平然と受け入れる安達もどうかしてるよな?とか
アントンビルを知らない藤崎&六角がよくもまぁ近くのビルの屋上で花火出来るな?とか、
恥ずかしがりやの安達が社内でキスを受け入れるか?とか、
自己解釈し切れないほど全体的に「?」という場面が多過ぎません?

ドラマはファンタジーですから、と言われましても、
これまで完璧に計算しつくされてきた物語展開だっただけに、
余計「え?」という気持ちが強かったです。

もちろん、映像としては素敵でした。
特に藤崎&六角の花火の場面なんて、
初見時は一番印象に残った感動的なシーンでしたけど、
後から振り返った時、もっと大事なことがありません?って思っちゃって。

その決定的なものは、黒沢の心理描写でしょう。
第11話からの別れから、なーんも描かれてませんよね。
暗い夜道をトボトボと歩いていた一瞬のみ。

7年の片思いを成就させ、
交際相手として初めてキスするその一歩手前で、思いっきり拒絶された。
物凄いショックな出来事です。

だけど、アントンビルの屋上でたまたま再会し、
安達からの「やっぱり黒沢と居たい」の一言で抱きしめて、めでたしめでたし。

え、もっと葛藤とか、無いの?
再び愛を確かめ合うに至る心理描写、薄くね?

そして、全編通してあれっだけ「初めて」にこだわっていたのに、
全てをすっ飛ばして朝チュン、からの小慣れたキスシーン(風味)という。

うーーーーーーーん、
やっぱり納得出来ないよね。

翌日、改めて最終話を見直す際に、2人はキスしないという前提で見進めていったら、
「まぁこんなもんかも」と少しばかり納得がいきましたけれど、
やっぱり惜しいな、というのが個人的感想です。


まさに「画竜点睛を欠く」


「画竜点睛を欠く」という言葉があります。
意味は、物事を立派に完成させるための最後の仕上げを忘れること。
あるいは、全体を引き立たせる最も肝心なところが抜けていること、だそうで。

今までダラダラ文句を書いてきましたけれど、
とどのつまりは最終話は詰め込み過ぎた、というのが答えなのかもしれません。

約23分で別れ話から日常に戻り、友人からのアドバイスを受け、立ち直って、仲直りして、初夜を迎え、朝チュンして、平和な日常に戻るって、やっぱり無謀。

だけれども、仮にもし花火をバックにキスシーン(風の描写)が描かれていれば、
「終わりよければ全て良し!!」という気分になっていた、かもしれないのも事実なわけで。
そこを「敢えて」外してしまったのがなぁ…。

第11話まで最強最高のドラマだったからこそ、
最終話でズッコケてしまったのが、惜しいというか残念というか、
風呂敷を上手に畳みそこなうの、いかにも日本のドラマ的ですよね。

ちなみに、一部のファンからは
「妄想できる余地を与えてくれたから正解」という声を聞きますけど、
受け手が必死に自己解釈して正当化しようとするのは、
やっぱり健全じゃないと思います。

そして公式Twitterを見る限り、海外ファンからのブーイングが凄まじい様子。
第11話まではあれだけ盛り上がっていた各種メディアも、
なんだか波が去ったかのように静まったのを肌で実感します。

やっぱり受け手は正直だなぁと思いますね。
期待値が高かった分、余計に消化不良を起こしてしまった人が多いのかもしれません。

最高のドラマをありがとう



だけどね、好きなんです「チェリまほ」。(今更)
こんなに大好きになったドラマ、初めてなんです。

特に第6話以降は毎日チェリまほのことを考え、
放送される日にちを指折り数えて待ち続けてきたし、
画質良く見たくて途中から等倍録画で保存しました。笑

特に演者の皆さん、本当に素晴らしかったですよね。
赤楚衛二さん、町田啓太さんはじめ、
全てのキャストがピタリと嵌ったからこそ、
これだけ素晴らしい作品が出来上がったのだと思います。

そしてその人たちをキャスティングした制作側もお見事。
何度改めて見返しても、第7話までの展開は
恋愛ドラマ史上に残ると言っても過言ではない出来栄えです。

制作陣はまだ30歳前後の若い世代とのこと。(ちなみに私も同世代。)
テレビ界隈は私が想像する以上に古い体質の世界だと思いますが、
その中でこれだけの作品を作り上げられたのは、
月並みな表現ですが、本当に凄いことだと思います。

賛否両論、様々な意見を取り入れ、
今後より素晴らしい作品を作り上げていって欲しいです。

その意思表示を含め、Blu-rayを購入させて頂きますし、
それが何かしらのかたちで次に繋がれば良いなと思います。

続編…やっぱり無理かなぁ。
私はこの作品できっちりリベンジを返して欲しいよ。
ファンとしての心からの願いです。

今年一番の感動をありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?