帰国途中の出来事とスーパー主婦

カナダからの帰りの便は、トロントからバンクーバー、ソウル経由で福岡着の大韓航空だった。ソウルでターミナルを移動しなければならなかったので、飛行機の中でキャビンアテンダントに、どのターミナルへ行ったらいいのかを尋ねた。

飛行機から降りると、笑顔が素敵な一人の若者が私を待っていて、彼は私をエスコートして、滑走路内にある30人は乗れる大きさのバスへと案内してくれた。そのバスには彼と私、二人しか乗っていなかった。しかも目的のターミナルに着くと、チェックインカウンターまで連れていってくれて、カウンターの人に事情を説明し、チェックインする私を後ろから見守ってくれていた。そして次の便はこれだから、乗り遅れないように、と言って去っていった。

「大韓航空はいつもこんなにサービスがいいのか?」「26才の私を子どもだと勘違いしたのか?」私の頭の中には?マークが飛び交っていたが、感謝をし、それから半日、空港内で福岡行きの便を待った。後にも先にも、あんなに空港で親切にしてもらったことはない。

当時の私は、必要な物は質が悪かろうと、最安値で手に入れるという事を誇らしくポリシーとしていた。
航空券も例外ではなく、どんなに乗り継ぎが悪かろうと、最安値のものを手に入れなくては気が済まなかった。
長い旅を終え、福岡に着くと私はまっさきに駅の売店で、求人情報誌を一冊手にいれた。

我が家へ戻り、2年ぶりに母の手料理をお腹がはちきれそうになる迄食べた。
母の料理は最高に美味しい。私は友人をよく家に連れていくのだが、友人達は口を揃えて母の手料理を褒めてくれる。
家にはいつ帰っても埃一つ落ちていない。母はスーパー主婦だ。
カナダで恋しかったナンバーワンは、母の手料理だった。

その娘の私はというと、当時は料理も掃除もできないダメ娘だった。実家では全て母がやってくれ、カナダでもJacquiとBettyが世話をやいてくれていた。冷蔵庫の残り物でも何品か作れるようになったのは、つい数年前の事だ。
両親とゆっくり食事をし、自分の部屋で久々に眠りにおちる頃には、なんともいえない安心感が私を包みこんでいた。

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