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打率が低くても振らなきゃ当たらない
以前、人生の打率が、思ってたより低いという主観について書いた。
長距離バッターでもアベレージヒッターでもない。俊足巧打を売りにするわけでももちろんない。
野球を例えに挙げているが、
私が実際に今いるのは、あちこちで疲労と不安と退屈の混じった溜め息をする患者さんの「はぁー」という声が聞こえる病院の待合室である。
the⭐︎現実
内視鏡検査の回数はこれで生涯を通して20回くらいになっただろうか。せめて年間20回とかなら、ホームランアーチストならぬ内視鏡アーチスト賞だと誇れるのに。
もはや、検査の説明やその日までの食事制限とか洗浄の話もすっかり聞き飽きた。とは言え、数年に1回薬が変わったり、薬の容器や味が変わるマイナーチェンジもあるから、そうそう聞き逃すわけにもいかない。
「こちらの粉をお水で溶かして頂いてー」と、看護士さん。
あー、シロップの説明なかったな。
シロップの処方、お医者さん忘れてるな。
偉そうな患者である。
偉そうな患者の人たちは、それでも自分の体を守るため、そして辛過ぎる日常の中で少しでも会話量を増やすため、カマチョ的な期待も込めて、職員の方々に接するのだから、医療従事者や介護従事者の皆様には頭が上がらない。
追加処方をお願いして丁重にお礼をし、病院をはしごする。
私の人生、母のと自分のと含めて、医療と介護で詰め込まれている。
でもそのおかげで生き延びている。
健康な身体で産まれたかった。
人並みに大きな翼を持ちたかった。
人生の目的が、「低空飛行の維持」であり「墜落だけは避けられるように生活すること」になるとは思わなかった。
それでも理想と現実のギャップを埋める為には打席に入らなくてはいけない。構えたバットは振らなくては当たりは出ないのだ。
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