映画観てきた「モリコーネ 映画が愛した音楽家」
1週映画観るのを飛ばすと観たい作品がたまっていました。
で、上映終了の可能性もあり、一気観してきました。
前6本。
その1本目のモリコーネ。
この作品、海外の音楽ドキュメンタリーです。
このような作品はシネコンではかかりませんが、テアトル系では好んで上映されます。
まず過去の一時的な部分を除いては批判的な意見は除かれ、周辺からこれまで聞いたことのないエピソードが出てくるのが見どころです。
そのうえで、作品や作風を越えて最も好ましい点は過去の作品については一部引用や編集引用もすべて原典が使えていることです。
何度も繰り返しますが、海外ドキュメンタリーと国内ドキュメンタリーは決定的に異なるし、引用についての対応も全く異なると思います。
今作についてもエンニオ・モリコーネ自身に密着し、本人のインタビューは大量にあり、それでいながら周辺人物のインタビューもあります。
そしてその音楽が提供された映画がその部分がしっかりと出てきます。
権利関係は複雑なはずなのにドキュメンタリーの引用に対してはしっかりと出てくることには毎回感心させられます。
以上のような一般論以上に異常なのはこの映画構成の一部にあります。
2020年7月にエンニオ・モリコーネ自身は亡くなっています。
通常このタイミングで公開された作品であるなら追悼文等から始まると思われますが、この作品中は生存中です。
もちろん本人存命中の部分についてはその通りでしょうが、実際に存命している現役の人物としてあえて描かれているのは異例であると思います。
このような演出はあえて永遠性を持たせるためにあえて持たせたというのが意図であったようです。
前文が長くなってしまいましたが、作品の内容については映画内容とモリコーネ音楽が圧倒的過ぎますので、以下は散文的感想になってきます。
まずは映画邦副題の「映画に愛された音楽家」
これは邦副題としてよくできていると思います。
本作についてはGAGAが配給だけでなく、制作から関わっているようなのですが、映画「に」と「を」では決定的に異なり、モリコーネ自身が何度も映画音楽から離れようとしながらも毎回戻されてしまうという繰り返される運命。
そして出演している映画監督がみなものすごくうれしそうにしていること。
映画は監督のものであり、決定権は監督にあります。
この点についてはモリコーネ自身も同意しています。
ところが、一方で監督についての様々な仕事を挙げながらも監督は音楽については何も知らないとあっさり言ってしまっています。
監督には色々事情あるんだろうけどとか言いながら一部の楽曲なら全部お断りで結局全曲やってしまう。
こんな無茶ぶりされてもその映画の監督はものすごく面白いことをされたというように最後は笑顔でインタビューに答えられていました。
本来であれば自分の作品であることに関わらず、モリコーネによって数段格が上がてしまったことをこれだけ嬉しそうに。
堅い表情の最後に。
映画の見方が変わるような映画でした。
ただし引用多めなので配信ではなく映画館で観ておいて本当に良かったと思いました。
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