電話に挑んで

どうにか電話をかけ、受講ガイダンスの予約を入れることに成功した。
 仕事を終え家に帰るなり、カバンからスマホを勢いよく取り出した。そして、電話番号を入れ発信ボタンを押した。瞬間私の緊張は最高潮に!1発目の呼び出し音が聞こえてくることを予想し息を吸い込んだ。
 ところが聞こえてきたのは「こちらはNTTドコモです。おかけになった電話は…」という無味乾燥なオペレーターの声だった。私は吸い込んだ息のやり場に困り大きくせき込んだ。ほんと電話1つで何やってんだろう自分と思う。
 改めてウェブサイトを見たが今も英会話スクールは営業しているようだ。どうでも緊張のあまり電話番号を押し間違えたらしい。気を取り直して確認した番号に再度かけなおした。数回の呼び出し音ののち「はい、こちらクロックです」と爽やかないかにも営業マン風の声がした。
 私は受講ガイダンスに参加したい旨を口早に伝えた。すると営業マンは高い声のまま、マニュアルにのっとり予約日程を決める文言をすらすらと並べた。明るく軽い声の下に、客を逃がすまいとする圧力を感じる。まるでクモの巣にかかった虫を食べてやろうとばかりにじりじり近づく巨大クモの様に。しかし、今回の虫は求めている獲物とはおそらく大きく違う。形状も動き方も対応の仕方も、よくいる虫たちとは違うのだ。もしかするとそのクモの巣では受け止めきれないかもしれない。などと私は自虐的なクモと獲物の想像を膨らませた。
 私は意を決して「あの、私には視覚障害があります。だからその、受講ガイダンスの日駅まで迎えに来てほしいんです。」と切り出した。
 すると、「あー…。そうでございますか。最初はご案内が必要とのことで。えー、少々お待ちください。」と警戒したような腫れ物に触るような声に変った。それから保留音が流れ出した。不安な気持ちの成果、可も不可もない単調なメロディーがとても長く感じられた。せめて緊張しているときや、異常に時間のかかる時くらい好きなメロディーを選ぶことができたら良いのにと時々思う。
 しばらくしてさっきの営業マン(仮にクモとする)が再び出た。「もしもし、大変長らくお待たせいたしました。ではお迎えの件承知いたしました。ではどちらの駅の改札にいたしましょうか?」とクモの明るい声が響いた。その後何度かやり取りをし、「ではお待ちしております。」という言葉で電話は終了した。
 私はその瞬間安心感と達成感に包まれた。自分は「Hello」と言いに行くことに確実に近づけたのだ。
 私には障害という明らかに相手と大きく異なる特徴を持つことを伝えなければならない時が多々ある。それにより拒絶されることもある。過去の様々な経験のせいか何か新しいことを始める度に不安を感じるのはそのせいだ。障害を理由に断られたり、戸惑われたりする度に、自分が社会では異質な存在であり、受け入れがたい者であると見なされているような気がするからだ。そう感じる度に自分の心のどこかがひんやりと冷え固まっていった。しかし、こうして他の人と同じように受け入れられると、凍り付いた部分がジワリと溶けていくような気がする。そして、こんな風に自分から動き、温かい人人や場所に出会う体験を増やしていくことは、今の私には必要だと気づいた。氷山みたいな心の中を少しずつ溶かしていくことで、もっと温かく快適な日々を過ごせるのかもしれない。

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