(小説)未定①

(自作小説を投稿してみます)


「新幹線まで時間があるし、この辺りで夕食を済ませてしまおうか」
「そうですね、あのファストフード店なんて安そうですし」
「それ言うとモテないらしいよ」
「…もういいですよ」

結局、上司のさりげない皮肉を受け流し、手軽なファストフード店に立ち寄ることにした。
三階まで上がってようやく空席を確保できるほど、店内は混雑していた。

「近頃の学生は本当に勤勉だね」

上司の言葉で辺りを見回し、なるほど、と思った。
仕事帰りらしいサラリーマンもパラパラだが、特に多いのは学生だ。その中でも、友達とスマートフォンを見せ合い笑っている女子高生も見られたが、受験生だろうか、一人で黙々と勉強をしている学生が圧倒的に多かった。

「ウミさんは、どんな学生だったんですか?」
「私ですか?」
「ええ、かなり勉強してそうだけど」
「そうですねえ…」

ふと、賑やかな店の片隅に、ヘッドフォンをしながら必死になにかを書いている少年を見つけた。多分彼の物なのだろう、大きなギターが狭そうに椅子にかかっている。
その顔のあどけなさから、まだ中学生のようだった。
季節外れの蝉の声が聞こえて、笑いそうになるのを隠しながら、私は話し始めた。



第一章 立ち漕ぎの私と蝉の声


「ねえお姉さん、消しゴム貸して」

ソラがそう声をかけて来たのは、高二の夏、塾の夏季講習だった。
見ず知らずの年上に馴れ馴れしく話しかけてきた上、その目には反省の色一つ見られず、むしろ秘密話を楽しんでいるようで多少イラついたが、ここは一つ年上の貫禄で聞いてやることにする。

思えばそれが、間違いだったのかも知れない。
その後、何度も懲りずに話しかけてくる。

「ねえ」

しかも二分おきに。

「ねえねえ」

…あと二十分

「ねえってば」

…あと十分

「ねーえ」

…あと五分

「ねえ」

……あーもう

「さっきから何!」

無視することに躍起なり授業がろくに受けられなくなっていた私は、ついにしびれを切らした。
授業終了三分前だった。

「あ、やっと答えてくれた」

何の悪気もないような顔が、更に私をイライラさせる。

「あのね、何校の誰だか知らないけど、ほんと迷惑」
「俺は、ソラ」

日本語通じてます…?

「よかったー。友達出来なかったらどうしようって心配してたんだよね、ちょっと」
「…友達になった覚え一ミリもないんだけど」

ソラは背が低かった。
この遅い時間に塾に通うのは大抵大学受験を控えた高校生達だが、私の目には中学生くらいに見えた。

…いや、直感的には小学生でもおかしくなかった。
狙ったものは捕らえるまで離さない、捕らえれば満足してどこかへ行ってしまう、そんな馬鹿さ加減は小四男子に負けていない。
例の如く何度も話しかけられ仕方なく友達になると言うと、満足したらしくそそくさと塾を出てしまった。
…友達なんて、本音も話さない上辺だけのものだろうに。

まあ、そんなことはどうでもよかった。
奴が私の受験勉強に支障をきたすことだけが問題だった。
とにかく早く帰ろう。汗をかいたサイダーを片手に、自転車を立ち漕ぎで家に帰る。


夏季講習が終わっても、ソラのいる騒がしい日々は続いた。
二十時、教室に入ると必ずソラがいる。できるだけ気配を消し席につくも、すぐに見つかり駆け寄ってくる。
そこからは授業中か否かに関わらず、ソラの一人話が延々と続くのだ。今日は学校がどうだっただの、両親がどうだの。
無駄なソラの知識ばかりつき、大事な学力は身につかない。呆れ気味に訴えても、それがどうしたと流されるので、最近は無視する術を覚えた。

初対面の日から、このルーティンは一度も変わることがなかった。もっとも、ソラが勝手にやっていたことなのだが。

ソラの夢は歌手だ。でも両親に反対されている。
家は病院だと言う。父が院長を勤める病院を、兄と二人で継ぐように言われているらしい。

「でも嫌なんだ、自分に嘘をつくのは
父さんの跡を継いだ兄さんのことは尊敬してる。でも俺には別の生き方がある。音楽なんだよ」

ソラは夢を語る時、目を輝かせながらまるで映画の主人公のように喋る。
だがそれも私にとっては、聞くに値しないうるさい蝉の独り言だった。


ある日突然、ソラは塾に来なくなり、静かな夏の夜が一週間ほど続いた。
例の両親に、医大受験生向けの塾に行くようこっぴどく言われているようだと、風の噂で聞いた。
私にはその方が好都合だ。おかげで勉強ははかどるし、いつもより気分がいい。

しかし八日目の夜だった。
塾終わりに少しだけ自習した私は、自転車にまたがり家路についた。

「ウミ!」

大きな叫び声が響いたかと思えば、突然曲がり角から飛び出してくる少年。私は思わず自転車から落ちかける。
言わずもがな、その声はソラだった。

「はあ…またあんたか」
「お願い、俺を守って!」
「はあ?」

ソラは涙ながらに訴えた。母親から逃げてきた、自分の夢を助けてほしい、と。

正直、私には他人事のように聞こえた。テレビの中の一場面を見ているようだった。
夢なんていつかは消える、早く諦めることを学べばいい。
だから、彼の母親が鬼の形相でやってきて彼を捕まえた時も、大して驚きもしなかった。
とにかく、早く帰りたかった。

「ごめんなさいねえ、うちの子がとんだご迷惑をおかけして…ソラ!駄々こねてないで帰るよ!!」
「いえ…じゃあ私はこれで」

帰ろうとしたその時、普段からは想像もつかない、震えた声でソラは言った。 

「ねえ、お願いだよ。こんな人生嫌なんだ…」
「ソラ、まだそんなくだらな…」
「俺は音楽で、歌で人を救いたいんだよ!
誰だって音楽に救われる。母さんだって、ウミだって救われたことあるだろ?」
「あのねえ」

ここで初めて口を開いた。

「あんたがどうしてそこまで歌手にこだわるのか分かんないけど、私は音楽なんかに救われたこと一度もないね。
ただ自分の気持ち歌ったり、大丈夫大丈夫歌うだけでキャーキャー言われるお安い職業より、偉大な医者になった方がいいよ、あんたは」

その時私に向けられたソラの目を、私は忘れたことがない。

「……ウミの世界は、モノクロなんだね…色がないんだ」

大人になってしまった私を哀れんだような、悲しんだような、真っすぐな瞳だった。

それまでの人生で、私自身をこんなに真っ直ぐに見つめる瞳には、一度たりとも逢ったことがなかった。

そしてその目は、まだ子供だった頃の自分と、よく似ていた。


ソラはその瞳を残した。