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永遠なんて無いのに、人間が永遠なんて言葉を作ったせいで無常さに泣く。
永遠なんて、あるのだろうか。
だけど、自分は現在20歳で19歳の頃の自分には永遠には戻れない。
永遠とはずっと続くものをいうのだろうか。
それとも過ぎ去った事に対するもので、それが未来には来ないものなのだろうか。
世間一般的には前者だろう。
永遠とは、この状況が駄目にならずに続いて欲しい。という願望表現なのか。

前回の失恋をしてから約1年と2ヶ月が経った
あの頃の自分は毎晩のように泣いていて、時間が解決してくれる事なんて分かっていたが時間が経つのがあまりにも遅く感じ日々に絶望していた。
だけど、あれからもう1年が経っていて1年間の間にそれ以上の嬉しい事や楽しい事が沢山あり正直少し自分でも驚いている。
車の免許を取得したり、お酒を飲んでみたり、新しい交友関係があったり、大学と専門に入学したり、少しの間だが就職したり、仲の良い友達から自分は死ぬ。という連絡が来たり、バイクの合宿免許で出逢った人と恋仲になったり。
前の恋愛を忘れるのは新しい恋愛という言葉の意味が再度、胸に刻み込まれる。
そんな事は分かりきっていても受け入れ難い。
だか私はまた失恋をしてしまった。
私たちは出逢いと別れを繰り返し、人は成長する事は分かっている。
始まりがあれば終わりがある。
出会いがあれば別れがある。
家族、友人、恋人、ペット。それらを私たちは経験するから分かる。人は生まれたら死ぬ。光があれば闇がある。と同じレベルに当然分かりきってる。

お互いが自分の人生で今は必要ないからお別れをする。運命の人を見つける為に別れがある。なんていう人もいる。
私はみんなの運命の人でありたかった。
もしかしたらみんなの運命の人なのかもしれない。
出逢いも、別れも、死も運命。
何も失った事のない人に大切なものは分からない。
人は失う痛みを知っているから大切なものを大切にできるようになる。
何度も言うがそんな事頭の中では分かりきっている。
もういっその事、離れた時、失った時に込み上げる大切な感情を教えてくれる人を運命の人と呼ぼう。忘れられないのは忘れては駄目だからで、忘れられないのはその人が運命の人だったから。
運命の人とは一度別れる定め。
運命なのか、必然なのか。
ここでまた運命や必然について考え出すと宇宙の果てまでに辿り着きそうなのでここでは一旦考えないようにしよう。
だいぶスピリチュアル的な視点で、理屈だけでは片付けられなくなってしまった。

私は永遠が欲しい。
永遠に続くものなんてないから
永遠が続く確信のあるものが欲しい。
だから、この地上にあるもの全てが、時と共に形変え行くものならば、自分たちが抱いている貴いものに縋る価値はあるのだろうかと思っても、私達は結局、愛してしまう。
永遠に続く愛情、友情、平和、安心、幸福を私たちは望んでは止まないけれど、そんなもの何処にありましょうか。
終わりがあるから美しい。
そんなの分かりたくもない。
永遠がないから美しい。
そんなことも分かりたくもないよ。

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