見出し画像

寤寐思服

午前12時51分。
雨の音がぽたぽたと聞こえる部屋で私はInstagramのキャプションを書く。
ここ最近、いつ死のうかどうやって死のうかばかり考えてしまう。
今日は部屋の片付けをした。
死ぬ前に身の回りを整理しておきたいと思ったからだ。
床にはポテチやら髪の毛、とっくに捨てていたと思っていた紙屑でいっぱいで足の踏み場すらなかった。
床を綺麗にし、机の中を片付けていると、前に付き合っていた恋人から貰った指輪が出てきた。
たしか、その指輪は彼が高校を卒業した自分自身へのご褒美に買ったと言っていた。
そんなことを思い出しながら指輪を手にとると、少しオレンジ色に錆びていて鉄の匂いがした。
彼に指輪を貰ってから約1年間、ずっと嵌めていた時はきらきらと輝いていたのに彼と別れて約3ヶ月。たったの3ヶ月の間で、指輪が錆びていた。錆びることは当たり前だ。
ただ錆びていることが少し悲しかった。
この時、人間も寝たきりだと弱るように、機械も使わないと壊れるように、指輪も嵌めないと錆びてしまうのだなと改めて実感した。
指輪を机の上に置こうと、指輪を置いたらベットの下に転がってしまった。
ベットの下を覗くと、
今度は一冊の本が目に止まる。
その本を手に取り、何度も繰り返しに読んでいたなと、ぱらぱらとめくると人が最後まで忘れられないもの。という題名で目がとまった。

人が最後まで忘れられないもの。
それは香りらしい。
まず声を忘れる。そこから体温を。次に形を忘れ、言葉を忘れ、横顔も忘れる。
それでも最後まで忘れないもの。
暴力的に私たちを立ち止まらせて、一瞬にして現在から過去へと突き飛ばすもの。正確に身体に刻み込まれた、時限爆弾のようなもの。
恋文にも似た、脅迫状みたいなもの。
香りという形のないものを的確に表す言葉がないから、人はまずそれを意識的にも無意識的にも、藁を摘むようにして、記憶するのかもしれない。
(著者F いつか別れる でもそれは今日ではない)


と書いてあった。
私はあの人を無意識に重ねた。
私はもう何も思い出せない。
あなたの匂いも体温も。
少し荒れた口調も、大好きな車の話も、昔の不良自慢も、唯一優しくしてくれてたっていうおばちゃんの話も。
思い出したくても思い出せないのが苦しい。
だけど忘れてしまった事を忘れていない。
もっと傷つけてくれれば良かった。
浮気でもしてくれれば良かった。
君に愛されてた私が好きだったし
君を好きだった私が好きだった。
恋に恋をしていただけだったのだろうか。
何故、別れたんだっけ。
あなたは私を幸せに出来ないし
私もあなたを幸せに出来ないから別れたのだろうか。
思い出せないのに忘れられない。
私があなたの事を忘れられないのは、
まだあなたの事が好きだからではなく、私を深く傷つけた人だから、忘れられないのでしょうか。

もう私は片付けどころでは無かった。
片付けを諦めた。死のうとするのも諦めた。

あの日501号室で雨の音とともに抱き合ったのが嘘みたいに今日も雨の音を聞きながら私は眠りにつく。
まだ、あなたの名前の頭文字をキーボードで打てばあなたの名前が出てきて安心してるのに、いつか出てこなくてなる日が来ると思うと怖い。もう永遠にあなたの名前を見ることが無さそうで、永遠にあなたの名前を思い出せなさそうで怖い。永遠なんてないのに。
あなたが笑って新しい恋人と幸せそうに眠る夜とこんなにも孤独で寂しい夜が同じだなんて、考えたくもない。
だけど私はあなたが私の事を忘れるくらい幸せになる事を祈ってる。あなたは祈ってくれますか。私がこの孤独な夜に殺されてしまわないように。雨雲で月が殺されてしまわないように。

こんな事をInstagramのキャプションに書いては思い出の写真と共にアーカイブに眠る。
私が生きている限り、ずっと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?