作曲の方法論62

で、これからは曲先の場合の方法と手段の組み合わせについて一つづつまとめていきたいと思います。

まず最初に「頭の中にあるものを具現化」し、メロ先で作るというパターンから考えていきます。

まず長所としては、

・曲自体がシンプルになる傾向が強く、分かりやすい曲になりやすい

・主旋律が強い曲を作りやすい

・上の2つの理由から、上手くいけば誰もが名曲と感じる曲に化ける可能性あり

実際のところ、シンプルな曲の方が「名曲」と呼ばれることが多いと感じています。もちろんシンプルな曲が全ていいわけではなく、「駄作」の方が多いとは思いますが(笑)。

ただやはり「分かりやすさ」というのはやはり大きなポイントになるでしょう。ある程度「耳に馴染む」曲の方が「名曲」と感じてしまうことが多いと思います。やはり音楽と言えども「多数決」といった部分があるのは否定できません。

音楽はそんな簡単なものじゃない、と言いたいところですが、それを決めるのはあくまでも「聴き手」であり、しかも「一定数以上」の「聴き手」が「名曲」と思わなければ、やはりその曲を「名曲」と呼ぶことは出来ないと思います。

もちろんそれほど多くの「聴き手」が必要ではないとも感じています。世の中には「聴き手」の数が少ないジャンルの作品も多い訳で、そういった作品と、圧倒的に「聴き手」の数が多いポピュラーを比較することはおかしいですから。

ただ自分としては、別にそれほど多くの「聴き手」が必要とは思っていません。何億人の人に「聴き流される曲」を書くより、「一人」の「聴き手」の心の底に響く曲の方がよほど書く価値があると感じています。

あ、また話がそれた...。

で元に話を戻します。

短所としては、

・シンプルなだけの曲になりやすい(書いた本人がそう思っているとは限りませんが)

・「似た曲」が他にある可能性が高い                 ※これはシンプルであるが故に発生するため上記の延長線上にある

・メロが調性の制約を受けやすい

・もっと言うとメロが特定のコード進行を指定している曲になりやすい

・一定以上のセンスがないと、継続的に「異なった曲」を書くことが難しい                                                                                                                 (何曲か作り続けると似たりよったりな曲しか出来ない、ということ)

と言ったところでしょうか。

はっきり言うと、よほどのセンスがないとやらない方が無難でしょう。メロ先で様々なパターンの曲を書くことは難しいと思います。

それが出来るのは、「既存の音楽」を消化出来ている人だけです。

「いいメロが出来た」と思う人ほど、そのメロが凡庸であることが多いです。

そういう人ほど「いいメロ」≒「自分の好きな曲のメロ」であることが多いですから。でもそれは単なる「劣化版コピー」以外の何物でもありませんから。

それに加え、メロ中心で曲を考える習慣が付くと、音楽を聴く時にもやはりメロ中心で聴く方向に傾きがちになります。

これは音楽活動に当たっては「欠陥」にしかならないでしょう。曲を聴く時に「色々な音」が聴こえていないと、自分自身でアレンジをしない方であっても、そのアレンジの良し悪しが分からなくなります。

「致命傷」に近い話です。

なので、メロ先で曲を作るのは「コード先」なり「オケ先」で作れるようになってから後で、一つのやり方としてやってみる位の気持ちで考えた方がいいと思います。

頭の中にメロが浮かんできた時も、それを譜面に起こしたりするのは、あまりお勧め出来ません。

本当に「いいメロ」なら簡単に忘れません。譜面に起こすのは翌日にした方がいいでしょう。

忘れるような「メロ」は所詮その程度の「メロ」ですから。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。