DTM⑨

せっかく自分の曲を宣伝、じゃなかった、自分の曲を考察していく中でDTMについて考えたことについてまとめてみたいと思います。

何となく分かってきたことですが、DTMらしさって「DTMかどうか」とは関係ないんですよ。

「MTR」でも「DTM」っぽく聴こえる作品もあれば、「打ち込み」でも「DTM」っぽくない作品もありますから。

というのも、やはり「DTM」というものが、音楽制作環境のことを指すのではなく、特定の音楽制作手法のことを指すからだと考えています。

「DAW」は音楽制作環境を指す用語として使われているのに対し、むしろ「MTR」の方が音楽制作手法としての「DTM」と近い関係にあるんでしょうね。

おそらく「DTM」というのは、スタジオでなく、マニュファクチャア的に自宅で録音をする、的な意味で捉えられているんですよね。

だから制作環境としては「DAW」に近い、というよりもはや消滅したと言ってもいい制作環境であるにもかかわらず、今でも「DTM」という言葉が使われているんだと思います。

だから「DTM」と「MTR」の親和性は高いんでしょう。

で、自宅での制作が中心になるので、どうしても打ち込み比率が高くなる、そして、そういう音楽が「DTM」と称されやすい環境になっている、ということが見えてきたように思えます。

そういう意味からすると、やはり自分の作品の場合、「DTM」なんだけれども「DTM」らしくない音楽、という位置づけになってくるのかと考えています。

では明日は何故「DTM」がこれだけ脚光を浴びるようになったのか、について考えてみたいと思います。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。