歌が上手いということ
昨日書いた記事について更に考えてみたんですよ。
やはり週末見ていた音楽番組の中で「天性の歌声の持ち主」とか「歌を歌うために生まれてきた才能」とかって表現される方っていますよね。
ただ、そういう風に言われる方の歌ってあまり上手いと思わないんですよ。
まあ自分が歌について云々書く資格があるような気もしませんが(汗)。
ただそう言ってしまうと話が終わってしまうんで続けることにします(笑)。
そのように言われる方の歌、声は確かに綺麗だし、音程もしっかりしていると思います。
もちろん音程はしっかりしていた方がいいとは思います。ただピッチが正確であればそれでいいか、と言われると少し違うような気がしています(実際にはピッチが正確な歌は良い歌い方ではなく、むしろどうずらすかを上手くコントロール出来るかどうか、という言い方の方が適切なのですが)。
歌って作品を伝える表現するための手段であって、それが目的ではないんですよ。
どんなにピッチが良くても、人の感情に訴えかけない歌であったり、作品の良さを伝えられない歌では、やはり上手いとは言えないと思います。
後、声の綺麗さも歌の上手さとは関係ない話でしょう。
こういう風に言われる方って、綺麗に響く、いわゆる豊かな整数次倍音を持つ声の持ち主が多いと思います。
確かに綺麗に響く声というものは聴いていて心地よいでしょう。
でもこれも手段であって、例えばしゃがれた声であっても歌の上手い方は大勢います。
声の綺麗さにしろ、音程の正確さにしても、あくまでも曲を表現するための「手段」であって、「目的」ではありません。
だから、「天性の歌声の持ち主」とか「歌を歌うために生まれてきた才能」って言われる方の歌を聴くと、ほぼほぼ自分としては違和感を感じるんですよね。
それは歌を歌う上での一つの要素でしかありませんから。
明日からは日曜日の続きに戻り、宇多田ヒカルさんについて書いていきたいと思います。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。