曲と歌詞⑤

では、何故曲よりも歌詞の方に気持ちがいきやすいのか、について考えてみたいと思います。

まあこれはある意味当たり前なんですよね。

何故かというと歌詞は「言語化」されているからです。この人何分かり切ったこと言ってるの?、と思われるかもしれませんが、まあ事実なのでしょうがありません。

歌詞は言語化されているから、母国語の歌詞であれば、そのまま言語として理解されるんですよね。で、翻訳が必要ないから、分かりやすいし、伝わりやすいと思います。

曲は「非言語的」だから表記するのにもツールが必要になる訳で、それが例えば譜面だったりする訳ですが、それ自体は「他国の言語」のようなもので、独自の文法があり、それを知らないと読むことは出来ません。しかも辞典もないから、分からない方にはまず分からない。

もちろんミュージシャンであれば、ある意味母国語と一緒なので感覚的に分かる、ということもあるのですが。

そうでない場合でも、もちろん「歌って伝える」ことは出来ますが、それで確実に伝わるかというと、その人の技量次第ですから、本人がきちんと歌っていると思っても、他の方に伝えられているかは未知の世界です。

もちろん歌詞にも「比喩」や「暗喩」がある訳で、それほど単純なものではありませんが、それでも一定の理解があっての「解釈」になる訳で、曲とは大きな違いがあると考えています。

だからこそ、曲に「共感」するより歌詞に「共感」する方が「簡単」だし、他者とその「共感」を共有することも「容易」です。

そう考えると「曲」より「歌詞」が聴かれるのは、ある意味「必然」なのかもしれません。

ただその状態の中で、「音楽」の価値が現在のように「低下」すれば、必然的に「曲」の価値も低下し、希薄化する、これもまた致し方無いことなのかもしれません。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。