旋法③

今日は元々別の記事(とは言っても昨日の続き)を書くつもりでした。

ただ、最初に何故このような記事を書こうと考えたか、きっかけについて触れていなかったので、今日はその点について書きたいと思います。

そのきっかけというのは、日本の音楽は「ヨナ抜き」が基本だ、という話です。

実際のところは「ヨナ抜き」と言っても一般的には「ヨナ抜き長音階」のことを指している訳ですが。

これは全くの虚構であり、そのことが「標準化」されるのは早くても明治以降、完全に「発見」されたのは多分戦後の話でしょう。

もちろん琉球音階の話をしている訳ではありません。琉球は言語的に見ても日本と同系列ですが、音楽は全く違います。

例えばアイヌは独立した一つの民族であり、この枠で捉えるべきでないのということとは話が違います。

まあアイヌの旋法自体良く知りませんが(汗)。

琉球音階にも実は色々あるのですが(昔先生が書いた論文読まされました(笑))、まあその話を書きだすとキリがない上に、この記事以上に興味がないと思われますので割愛させていただきます。

当たり前ですが、日本にもかっては様々な旋法がありました。ただ西洋音楽の導入が起きて、大半の音楽はほとんど壊滅状態になるんですよ。

その時に導入された技術なり文化はイギリスから持ち込まれたものが大半でした。で、音楽においても、西洋化にあたり、時代的には先進的とは言えないイギリスから音楽が持ち込まれています。

で、この音楽の中にはスコットランド民謡など、イギリスの中でも周縁部(というよりはそもそも連合王国なので別の国なのですが)から「ヨナ抜き長音階」と捉えられるような要素の高い作品も流入しました。

一方、邦楽が壊滅的な状態になる中で、周縁部の音楽というのは残りやすいんですよ。

これは文化一般に言えることで、中央のものから変化が起きていく、というのはある意味自然な現象だと考えています。

元々は邦楽の場合、都市部ではヨナ抜き音階とは別の音階が主流でした。でもそういった音楽はどんどん淘汰されていきます。

一方、周縁部にあった土着的なものは残りやすい傾向にあると思われます。中央の影響が遅くからしか出てきませんし、またそこに根付いているものは急速には変りません。

で、周縁部で使われていた音階に「ヨナ抜き」が多かったんですよ。

先ほど書いた中心部での動きと、この周縁部の潮流が合わさることにより、「日本の音楽はヨナ抜きだ」というような言説が広まるきっかけとなる訳です。

ちょっと記事が長くなったので、この続きは明日にでも。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。