作曲の方法論63

で次に来るのが「頭の中にあるコード」を具現化していく、「コード先」についた考えたいと思います。

もちろん一つのコードが頭に浮かんで、そこから「頭の中」から離れて制作する場合は含みません。

一つのコードだけでは曲になりませんから。

まあ出来なくはないのですが、逆に1コードで作る方が大変ですし、それって「コード先」ではないんですよ。

その場合、コードは単なる「契機」でしかなく、実態としては「メロ先」なり「オケ先」と同じです。

この場合のコードは言ってみれば「基盤」のようなものであり、その上で展開される「メロ」なり「オケ」が音楽の主体です。

実際1コードだと「メロ」や「オケ」の自由度は高くなります。常に流れているが故に、コード自体が「希薄化」してしまい、その上にどんな音が乗っていても普通に聴こえるようになるからです。

また話それてますね...。

あくまでもここで指す「コード先」とは、コード進行の一定の塊を「頭の中」で考えて、曲を作る、という方法です。

長所としては

・思いついたコード進行のオリジナリティが高ければ、曲のオリジナリティも高いものが出来る

・思いついたコード進行の中にノンダイアトニックコードがあれば、調性外の音が使いやすくなる

・「定番的なコード進行」は歴史の中で形成されたものであり、「聴き手」の立場からすると、安心して聴ける曲に仕上がる。

の3点でしょうか。

上の2点はほぼ類似の点と言っていいでしょう。

どちらも「れば」という条件が付く、しかもその条件が類似のものだからです。

要は「どんなコード進行を思いつくか」、それに全てがかかっています。

なので短所にもこの裏返しが出てきます。

但し「対称」にはなりません。長所と短所は裏返しの存在だ、と言う意見をお持ちの方も多いですが、必ずしもそうは言い切れません。

例えば「詩先」の場合「詩がないと書けない」と書きましたが、逆に「詩があれば書けるか」と言われればそれは違います。

詩があまりに短ければ、そこに曲を付けることは難しいです。もちろんそこから曲から作ることは出来ますが、詩に付けた曲、というよりも「この部分は詩から曲を作りました=大半の部分は曲先」ということになるのかと。

また前衛詩のように、文字以外に意味を持つ「何か」が含まれていた場合、その部分を曲にすることは困難でしょう。

「関係性」が対称であれば、裏返しは成り立ちますが、非対称では成り立ちません。

で、話がそれたので一旦話を元に戻します(汗)。

コード先の短所としては

・思いついたコード進行のオリジナリティが弾くければ、曲のオリジナリティも低いものにしかならない。

・思いついたコード進行が調性内の音だけで構成されていれば、調性外の音が使われる頻度が極端に減る

・「定番的なコード進行」の使用は、オリジナリティに欠ける曲になる危険性を孕んでいる

・そもそもコード進行のパターンは少ないため、類似の曲が出来やすい

・コード進行を「機能的和声」の中で捉えられると、数自体が少ないコード進行のパターンが更に括られ、同じパターンの曲と認識される可能性が更に高まる

といったところでしょうか。

上の3つは長所と対称の関係にありますが、下の2つは対称になる長所はありません。

「パターンの少なさ」が長所になることはないでしょう。もしなったとしても3番目の長所の中に吸収されてしまうだろう、と考えています。

「パターンの少なさ」それ自体が長所になることはありません。「パターンの少なさ」により、「定番的なコード進行」になる可能性が高くなり、その結果として、そこから生み出される曲がオリジナリティに欠ける曲になる、といった問題だからです。

いわばこの2つは因果関係にある、もしくは階層の違う関係にあるため、原因の方には対称になるものが存在しない、ということになる訳です。

また脱線してますね...。

で、話を戻しますが、長所と短所を比較した場合、曲先ーコード先での作品制作は微妙なところだと考えています。

というのも、やはりこれまでの音楽経験(演奏に限らず聴くことも含めて)から人は逃れられないからです。

で、やはり「頭の中」にはそういった「経験」が蓄積されているから、どうしてもその影響を無意識に受けやすい、と考えています。

しかも現実のパターンが限られている訳ですから、「頭の中」でのコード先はやはり定型的なパターンに陥る可能性が高い、と考えています。

この回避のために、例えば転調を使う、という選択肢もありますが、そうなると今度は「それを頭の中でやっているか」という問題にぶつかります。

複雑な転調になればなるだけ、「頭の中」のものを具現化する、というより、「思考」であったり、「検証」が必要になってくるため、「頭の中」からは離れていくことになります。

「思考」って頭の中でするものじゃないか、と言われるかもしれませんが、音楽の場合必ずしもそうではないんですよ。実際に試しながら考える」、ということの方が圧倒的に多いと思います。

むしろ「頭の中」にないものを「実態化」する手段として、音楽における「思考」というものが存在するのかと。

また敢えて特定のコード進行から曲を作っていく、という方法はどうか、というご意見もあると思いますが、この場合は既にコード進行を「外部」から持ってきているので「頭の中のものを具現化する」とは言えません。

まあ今日も相当脱線しましたが、「頭の中」と「コード先」の組み合わせで「オリジナリティ」の高い作品を制作することは、相当な才能がないと難しいと考えています。





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