MV①

以前は負荷情報でしかない存在だと思っていたのですが、やはりMVは凄いですね。

少し前に話題になったMV、どんな言い訳をしようが、やはりアウトなんですよ。

もちろんこのタイトルなので、次回以降は柔らかい記事を書くつもりですが。

なので、今回「スキ」は無用です。本当にこれから述べる実態に共感される方だけでいいです。

たぶん一人もいないと思うけど。

まあこのサイトじゃ、そういう方は稀でしょうが。その上、「共感」って何?、と言った問題すら出てくるでしょう。なのでここでの深掘りはやめます。

で、あのMVに戻ります。

知りませんでした、では済まない描写が含まれている。

あれは「猿の惑星」を下敷きにしている、と言って擁護する方もいるようですが、ならどうしてバファローの角が部屋に飾られている、このことを説明してほしい。

「猿の惑星」であれば「バファローの角」は意味を成さない。

これ、暗喩なんですよ。

これは北米の先住民が大切にしていたものです(ちなみに北米の先住民は相対的に日本人に近い)。

ここで「やってはいけないこと」に手を染めた。

この時点で、あそこに出てくる「猿」は北米の先住民を示唆しているものになってしまうからです。

この人達がどこまで意識していたか、今でも理解しているのか(たぶんしていない)、あんな曖昧模糊とした謝罪ではさっぱり分かりませんが、意識しようがしまいがやってはいけないことがある。

制作者側が暗喩を知らないでやってしまった、ということはありえません。

それじゃ「暗喩」になってませんから。

まあ「馬鹿」なんでしょうね。

けなしているのではなく、むしろ彼らを擁護しています。

知ってやっていたならよほど悪質。完全な確信犯です。もし仮にそうだとすると、逆に何のためにやったのか分かりません。

知らなかった、と考える方が自然。

そうでないからこそ、あのような謝罪しか出来なかったのだと思います。

おそらくは馬鹿なスタッフが何も知らずに「あ、これいいね」的な感覚で入れたんでしょう。

まあ映像関係の人達、知らない訳ではありませんが、総じて意識は低い。容易に想像出来ます。

もちろんこれは彼らだけの問題ではなく、先住民への敬意を欠いている我々の問題でもあります(ここでの「先住民」とは北海道に関する問題です)。

むしろ欧米の方がよほど理解していて、こんなもの欧米で流したらそれこそ大問題。

そう考えるとやはりメンバーは可哀想ですが、アウトプットに対する責任は負わざるを得ない。

正直あれを擁護している「ファン」が大勢いますが、何を擁護しているのかすら分かっていないでしょう。

「ファン」も同じ位「無知」。

音楽に罪はない、と言われるかもしれませんが、MVには罪があるんですよ。

で、もっと言ってしまうと、彼らの作品自体、基本的に「能天気」じゃないですか。

他のミュージシャンと比べて突出しているようにすら思えます。

もちろん、弾ける時があってもいいと思うし、そういう時がないと今の「閉塞感」は破れないのかもしれない。

でもその中でもやっていいこと、やってはいけないことがあるんですよ。

今の世の中、もはや「知らなかった」ではすまされない時代です。

でもMVを見るとそういったことすら明らかになってしまう。

怖い時代ですが、時代を変える力がない限り、その時代の「規範」に従っていくしか道はない。で、彼らにそこまでの力量があるようにも思えない。

たぶんそれが出来るとすれば宇多田ヒカルさん位でしょう。

自分の感覚ですが、あれは「高校生が聴く音楽」で、「大人の聴く音楽」ではない。

だから「無知」な「ファン」が多くなりやすい。

勢いだけで、音楽的に見て何かあるとも思えませんから。

いきなり最初から重い話になってしまったのですが、明日からは軽めにいきたいと思います。

緊張だけだと音楽は成り立たず、弛緩は必要ですから。

まあ今後の構想など何もありませんが(笑)

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。