作曲の方法論㉞

もはや何について書いているのかも分からなくなってきたので、とりあえず自分の曲について触れた延長線上で、今日も自分の曲について書きたいと思います。

やはり最大の特徴は基本的な構成が「A、A’、サビ」もしくは「A、A’、B、サビ」のみで構成されている点だと思います(A’メロはない場合もあり)。

英語詞の曲を作っていた頃はいわゆるBメロは無かったのですが、日本語詞の曲を作るようになってからは、何故かBメロが入るようになりました。

やはり「刷り込み」なのか、怖いですね...。

ただ大サビといったりCメロと言った部分はありません。最後のサビも絶対繰り返しません。1回で終わりです。

そもそもなんで人によって言い方が違うのか良く分かりませんが...。

そもそも同じ音形である最後のサビを「別の物」として扱う感覚が良く分かりません。「サビ」と同じであれば「サビ」と呼ぶしかないと思います。良くある半音転調も単に「サビ」と呼ぶべきでしょう。

しかもそれをいかにも「日本の文化」と言う方までいるという、驚くべき浅はかさ...。

洋楽だっていわゆるJ-POP的な構成の曲はありますよ。相対的に「少ない」だけの話でしかないのに。

また脱線しかけたので元に戻さないと(笑)。

まず第一の理由としては「自分が歌う部分を少なくしたいから」というのが大きいのですが、やはりそれだけでも無いんですよね。3人編成時代では自分は歌を歌っていませんでしたが、やはりその頃の曲も同じですから。完全に英語詞オンリーだったので、Bメロはありませんでしたが。

で考え直してみました。

曲の尺の長さを意識しているのでは、という点です。必要最小限の長さに留めたい、という気持ちがあるんだと思います。

元々「3分間の現代音楽」を目指して作ったプロジェクトなので、やはり長くしてはいけない、という感情が強かったんだと思います。

クラシックを聴く層が減ったのも、ジャズを聴く層が減ったのも「尺の長さ」は重要な要因だと考えています。

やはり尺が20分あるような曲が聴かれる時代ではないと思うんですよね。「聴き手」に飽きさせないためにはやはりそれなりの尺に収める必要がある、と考えています。

特にサブスクの普及に伴い、この流れは加速していくでしょう。

まあそんなこと言いながら、英語詞で7分超えの曲(「Reminiscence」)があり、「YouTube」にもアップしていますが、やはり歌が始まる前までの部分が長すぎます。

だからサブスクでもほとんど聴かれていません。

圧倒的に聴かれている回数が多いのが「夏の終わり」で尺は3:13、今の時点ではもう少し長くてもいいのでしょうが、以前書いたように5:00切れは必須な時代が来るんだろう、と思っています。

まあ短けりゃいい、というものではありませんが、やはり昔と比べると音楽の存在感なり、意味や意義といったようなものが薄れているように感じています。

実際この曲が好き、と言いながら、どこがいいかと聞かれると「歌詞がいい」という方がほとんどな時代ですからね。

そんな時代でもやはり「音楽」を制作している「自分」がいる訳で、自分でも歌詞は書きますが、別に歌詞を読んでほしい訳ではないですからね。

もちろん歌詞が重要なファクターであることは否定できませんが、それだけではちょっと寂しいですね。

だからこそ、ある程度時代に「順応」する必要もある訳で、その手段として、自分の場合曲を短くする、という方法を使っている、そんな感じでしょうか。

まあ曲を短くする方法は色々あるのですが、「純邦楽」以外の日本の曲をほとんど聴かずに成長した自分にとって、やはり最も自然な方法が洋楽で多い「Aメロ、サビ(verseーchorus)という構成であり、日本語の曲を聴くようになって「Aメロ、Bメロ、サビ」で構成するようになったのかと考えています。

もちろん、大半の曲に「イントロ」と「エンディング」はありますが(笑)。

ただそれも極力短くするようにしています。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。