昇進・出産祝いの廃止?

男性、女性、LGBTがそれぞれ生きやすい社会を作るために。
カキコさんの「成果を出そうレース」を少し読んだ。
男性が出世競争から逃れられない理由がよく表現されていて、素晴らしいと思った。

これを読んで思ったこと。

昇進・出産祝いを廃止すべし!

これはどういうことか?

当たり前だが、昇進する奴、出産する奴を引きずり下ろそうというわけではない。
出産したい者、昇進したい者がするのはよい。

だがそれを「祝う」のをやめようということだ。

「祝う」とはそれを「価値あり」と評価することであるが、それは「女性は子どもを産まなければならない」「男性は出世しなければならない」という価値観を再生産することに寄与している。

出世も出産も単なる事実であって、そこに「お祝い」という価値付与を公的に行うべきではないかもしれないのだ。

アメリカではキリスト教色の強い「メリークリスマス」という言葉の代わりに「ハッピーホリデー」という言い方を広めようとしていると聞く。「メリークリスマス」というお祝いの言葉はイスラム教徒や仏教徒の排斥に当たるかもしれないからだ。

それと同様、出産祝い・昇進祝いをすることはまさに、独身女性や万年ヒラの社員を陰に陽に排斥していることになる。

話は変わるが、こういう状況を考えてみよう。

今、ある夫婦に子どもが生まれ、「元気な赤ちゃんですよ、よかったですね」とお祝いする。これは誰もがやることである。
しかし「障害児が生まれましたよ、残念でしたね」とは言わないだろう。

だがこの2つはほとんど同じことをしているのだ。「元気(五体満足)な赤ちゃんはよい、障害児は悪い」というメッセージを振り撒いているという点において、同じことなのだ。

「健康な赤ちゃんを祝っているのであって、障害児をけなしているのではない」という反論もあろう。
しかし、「祝う」ということはある者を他の者より「高い」とみなすことであり、従って他の者を「低い」と評価することとほぼ同義なのだ。

分からないなら、こういう状況を考えてみよう。

先ほどと同様、健康な赤ちゃんが生まれた状況を考える。あなたは「健康な赤ちゃんですよ、よかったですね」と言おうとする。しかしその瞬間、隣のベッドに障害児の生まれた夫婦がいるのに気づいた。

この時あなたは「健康な赤ちゃんですよ、よかったですね」という言葉を言いよどむのではないか?
そうだとしたら、なぜ言いよどんだのか?
それは誰かを「祝う」ことが、そうでない者を「呪う」ことだと気づいているからではないか?

これと同じ論理から、男性・女性の呪縛を乗り換えるには昇進祝い、出産祝いの廃止を検討せねばならないということが分かるのではないだろうか?
もちろんひとくくりにできる話ではない。
しかし「祝う」ことの功罪を考えてもよい。
それは特定の価値観の押し付けではあるまいか?

くどいようだが、昇進や出産そのものが悪いというのではない。
そこに何らかの価値を付与するのが問題だと言っているのだ。



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