話題になっている「医療の現場」に関する投稿について

話題となっている投稿:「医療の現場から」
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/na4fb2c05ff55

この人の「医療従事者」という名乗りについて真偽を問う意見があるようだが、そこを見極める根拠を私は持ち合わせていないし、読んでみた限りでは言わんとしていることと「怒り」の内容には大きく違和感は無かった。ただ、医療従事者と一概に言っても、今のこの状況について感じていることはきっと人によって違うのだろうなとも思った。

私の友人に東京隣県で医師をやっている男がいて、まさに今、初期症状を訴えて来院する人の一次的対応をしている。SNSで時々近況を伝えてくれるが、文章の内容も顔の表情も見るからに疲弊してきていて、思わず掛ける言葉に窮することがある。彼は自分の身が危険に晒されていることについて直接的・感情的な表現で不安や不満を訴えることは少ないけれど、とにかく物資が足りないと声を上げ続けている。医薬品もそうだが、今倒れる訳にはいかない者として身を守るために必要な最低限の装備が、どんどん手に入り難くなっていると。そのことに対する焦りが彼の書き込みからは強く伝わってくる。本当に必要とされる場面のために、買い占めや奪い合いはやめて欲しいと。手に入り難くなってきたフェイスシールドを自作すべく、自宅で過ごす時間をその作業に費やして、ようやく実用に耐えそうなものが出来たと喜び、さっそく仲間と共有しようと思うと先日も伝えてくれた。彼が今、どういう頻度でマスクを換えることができているのか私は知らない。

安倍首相が布マスク配布を発表した4月1日の直前、この記事を書いた人が勤める大病院では3月末に不織布マスクの使用制限が発令されたという。それまでは午前午後で機械的に使い棄てていて、従業員もそこに何の疑問も感じていなかったがために混乱に陥った、というのがこの人の説明。しかし、友人が勤務する病院ではもっと前から総合的に深刻な事態になっていた様だし、例えば私個人の情況としても、最後に店頭でマスクが買えたのは2月末で、しかもそれは偶々「緊急入荷」の場に居合わせた知人が連絡をくれたがゆえにありつけた僥倖だった。それ以降「マスクを販売している光景」を見たのは、3月初旬にドラッグストアの駐車場で見た到底並ぶ気など起きないほどの大行列が最後で、以降は1ヶ月以上マスクの影も形も見ていない。私の行動範囲内・普通に買いに行ける時間帯では、不織布製のマスクは本当に何処にも売っていない。3月下旬にネット通販で注文したものは待てど暮らせど届かず、出品者に問い合わせをしても返信すら無く、事実上詐欺に近いと判断しキャンセルするに至った。それ以来、マスクはもう店頭でも通販でも買えないものと割り切り、あらゆる工夫をして自作・再利用でしのいでいるのが現実。この人が3月末に病院側の通達を受けて動転したと言うのと同じ頃、一般人(患者予備軍)である私でさえ既にそういう状況に陥っていたことを考えると、医療従事者であればこそ「使用制限」という事態には早くから備え、いざその時が来た時にとるべき適切な反応というものもあったのでは、と考えざるを得ない。

既述した私の友人は医師としても布マスクの配布を歓迎し「これで医療用マスクの供給バランスにどれほどの改善がみられるかは不明だけれど、とにかく無いよりはマシだ」という捉え方をしていた。アベノマスクという表現で彼もからかってはいたが、万全とはいかないまでも、この布マスクで防げることが僅かにでもあるならば、それが受け取った側の認識として広まることによって、不安にかられて物資の取り合いになるような事態も多少なり軽減されるのではないかという期待もあったようだ。おそらく配布した政府の思惑もそこなのだろうと。私もその通りだと思っている。皆がもれなく欲しい時に欲しいだけ手に入れられるのが勿論理想だけれども、そんなことは到底叶わない中では、ケチをつけようと思えばいくらでもつけられる「次善策」に縋らざるを得ない人も出てくる。そういう人を不安にさせるようなことを、どんな立場の者であれ言うべきではない。

今の彼の怒りの矛先は、この非常事態に政府が十分な対応を出来ずにいることに向けられているのではなく、自分のことばかり考えて冷静になれずにいる者と(医療従事者・患者とその予備軍・政治家と一般国民という立場的な分類に関係なく)、その不安をひたすら煽り続けている一部のマスコミに向けられている。どうしてPCR検査の件数が少ないんだ、ベッドが足りない様では入院が必要でも出来ないじゃないか、一体どうするつもりなんだと、解決策を示すでもなく、政治家を攻撃するついでに医療機関や関係者を追い詰めるようなことを言ったその口で、「医療従事者へ心からの感謝を」と仏のような振りをして呼びかける欺瞞に心底辟易すると彼は言う。いま必要なのはそういう無責任な煽情的行為ではなく、正しい根拠を伴った注意喚起と安心材料の同時提供であり、どんな立場であれひとりひとりが冷静になり、負担とリスクを分かち合う謙虚な意識なのだと彼は言外に言っているのだと感じる。そういう、私の身近にいるリアルな医療従事者と、この記事を書いた人とが、私の中ではどうしても重ならない。医療の現場で今の混乱に翻弄されているひとりの人間の肉声としてなら辛うじて受け止めることは出来るが、医療従事者全体を代弁する意見として捉えることは、私には出来ない。

責任ある立場、頼られる立場に在っても万全を期するのは難しい。誰もがそういう境遇に陥りかねない中で、互いにリスペクトを忘れない事こそが、医療を受ける人にも医療に携わる人にも、等しく求められていると私は思う。

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