「自分」を大切にしたかった話

2020年7月16日午前3時。僕は泣いていた。

警察署の中で1人泣いていた。

自分をひどく責めていた。
今までで一番「死んだほうがマシだ」と強く思っていた。
僕は良くも悪くも自分の「生」を実感していた。





さかのぼること3時間。

ドンドンドンという強い音と振動と共に僕は自宅で目を覚ました。普段人がいるはずのないベランダに人がいた。

普通なら不審者か何かだと思うはずなのに、僕はその瞬間に全てを察して窓を開けた。「大丈夫か!」という声と共に警察の方が続々と部屋に入ってくる。もう何もかも無意識だった。自分が生きてるかどうかすらよく分からなかった。


自分自身も記憶はあまりないのだけれど。時間軸から計算するに30時間ほど意識が朦朧としていたらしい。ベッドの上で何も食べることなく小さくなっていたらしい。返事がなかったりラボミーティングに出なかったりしたことで心配した友人らが通報してくれたようだった。

保護された時、僕は激しい過呼吸になってしまい、とてもしゃべることができる状態ではなかった。警察の人との受け答えもあまり覚えていない。気がついたら救急隊の人が来ていて、救急車で病院に運ばれた。


診察の結果特に体に異常はなかった。コロナでもなかった。多少の頭痛と吐き気は残っていたものの、その頃には自分もかなり落ち着いていた。そして特別な措置を受けることもなく、病院を後にした。

通報があった時に両親にも連絡はされており、10時間かけて車で迎えに来るとのことだった。というわけで朝まで、僕は警察の方々の保護の元、署の中で1人過ごした。多分7時間くらい。


ここで冒頭のシーンに戻る。




つまり僕は、自宅で1日以上意識が朦朧としていたところを警察に保護され病院に運ばれたということ。友達や研究室、両親に心配をかけ、警察や救急隊、病院の方々のお世話になってしまった。


親を待っている時間、寝ていいよと警察の方に言われてはいたものの、とても寝る気分ではなかった。最初2時間くらいはずっと泣いていたし、その後はただ放心して虚空を見つめていた。






そもそもなぜこんな事態になってしまったのか。


きっかけなんてものはなかった。突然のことだった。

家でどんより過ごしていただけなのに、目に見えているもの、聞こえてくるもの、全てが怖くなって布団に隠れたことはなんとなく覚えている。そこからは記憶があまりない。おそらくずっとベッドの上で怯えていたのだろうか。

体に特に異常がなかったことから、精神的な問題であることは確かだと思う。自分でも気づかないうちに相当追い込まれていたよう。




一つ大きな不安があるわけではなくて、まあまあな不安がいくつもある。不安が一つならそれをなんとかすればいい。ただ複数あると「あれもなんとかしなきゃこれもなんとかしなきゃ」でどんどん追い込まれる。
僕が倒れるまでに至ったのは多分、自分の頭の限界を知らぬ間に超えてしまったから。キャパオーバーとはまさにこれ。自分じゃどうにもできなかったみたい。






次の日の朝に両親が警察に迎えに来た。久しぶりに会った。そのまま一度自分のアパートに帰った。

そりゃもちろん親は心配するわけで。母親にはいろいろ聞かれたな。僕自身もここまで大騒ぎになったからには己の全部を話さねばと思っていた。そのつもりだった。






でも、言えなかった。




本当は「あれもこれもつらい」って言おうとしたんだけど。


出てきたのは「まあ大丈夫」って言葉と、涙だった。





実際この時僕はめちゃくちゃ頑張っていた。自分をさらけ出せるように。今こそ何もかもぶちまける時だと思っていた。本当に本当に強く思っていた。

それでも。

僕の口は開かなかった。代わりに涙が止めどなく溢れてきた。「まあ大丈夫だよ」とか言いながらめちゃくちゃ泣いていた。親の前でちゃんと泣いたのは10年以上ぶりだった。

さすがに親もそれ以上は追求しようとせず、「一回実家に帰ろうか」という言葉に甘えてそのまま10時間かけて実家に帰った。




ちなみに父親は何も言わなかった。ただ往復20時間の運転をしてくれた。昔からそうで、父親は僕のことに無駄に干渉はしないが協力はしてくれるという感じだった。本当に尊敬、感謝している。




そんなこんなで、10日くらい実家で過ごした。僕は何もかも忘れて伸び伸び生活しようとしたけど、やっぱりあの日の出来事、感情は焼きついていて。寝るときとかたびたび思い出してしまう。今回のnoteは頭の中でごちゃごちゃしてるこの出来事をまとめるために書いたもの。






自分1人のせいでこんなにも多くの人に迷惑をかけてしまったことで、僕はひどく自分を責めた。さらにこんな大騒動になっても自分が素直に出てこないことに悲しくなった。本当にどうしようもない人間だなって。救急車で運ばれておきながら「なんで生きてるんだろう」って考えてるの笑っちゃうよ。




まあ実家にいる間は多少気が紛れていたものの、やはり東京に帰ってくると「何かに常に急かされている気分」になる。東京という街は、どうも生きることにせっかちな気がする。そしてこれ以上迷惑はかけられない、とあれこれまた考え悩み出している自分がいる。学習しないなあと思いつつも、これが紛れもない自分の姿なのかもしれないと思ったり。



もう少し頻繁に実家に帰るようにしたり、人とお話する機会を増やしたりして生き方改善をするべきだな。もっとゆるく、楽しいことに目を向けていこう。そしたら何か見えてくるかもしれん。