寄り道~リヒター考(上)

かのゲーテは、人間をこう謳った。
「人間だけが、善人に報い、悪人を罰し、癒し救うことができる。
またすべての惑いさまよえる者を、結びつけ役立たせる。

我らはあがめる 不滅なものたちを。
彼らも人間であって 最上の人間が小さい形でなし、あるいは欲することを
大きな形でなすかのように。

気高い人間よ、情けぶかくやさしくあれ!
うまずたゆまず、益あるもの正しきものをつくれ。
そして かの ほのかに感ぜられた  より高きもののひな型となれ!」
(ゲーテ詩集・新潮文庫p116)

アーティストに限らず、人は、その一生に於いて、何か益あるものを成す使命をもっているとゲーテが語りかけているようだ。

愛知県豊田市の現代美術館で、現代アートの巨匠のひとり、リヒターの作品を目の前にし、私は今までにない「問いかけてくる芸術」ともいえる現代アートの世界観に圧倒されていた。
私がもっぱら好んできたのは印象派の作品、もしくはそれ以前の、写実的画法の古典芸術であったが、
それらはまるで「共にこの愛しき世界を愛でよう」と自分を感動で包んでくれているような世界観であった。
自然のなかに、普遍的なすべての形を包括した「宇宙」をみるようであった。
印象派の作品は、アーティストの内面が反映されたようで、自分には持ち合わせていないその視野、世界観に感動し、しばしば画の前で立ちつくしていた。
その美しい作品に共鳴にし、彼らの広大な心に触れたような、多幸感にあふれた時間を過ごしていた。

しかし、現代アートはより対話型、もしくは問いかけてくるかのような、アーティストとの対話のようである。あなたは、ここから何を感じるか?と。

時代が双方向性となっているように、絵画もまたその方向に進んできていたのだ。より鮮明に、強烈に。その双方向性の鑑賞のなかでは、自分自身の内面も問われているように思われた。

作品の捉え方は、鑑賞者の研ぎすまされた精神的、知覚的反応を委ねながら、任されているように思える。答えは、鑑賞者のなかに求められているような感覚が終始し、もちろん印象派とはまた違った美が存在しているのだが、ただ感銘するというよりも、「思考」の方が活発に動いていた。


古来より、自然や偉大なるものを讃えて、人間の出来うる限りの情熱でそれらに近づこうとした画法でもない。いや、古来より、人は抽象的な表現もしてきているのだが、よりそれが自由に、表現も多岐に渡っているのだと感じた。いつ頃からその変化は生まれていたのであろうか。

20世紀から、芸術は大きく変化したといわれる。現実の表層を「客観的」な視線で見つけるという立場で制作された作品は減少し、
そのかわりにもっと個人的な目で物事を見つめようとするアーティストが大勢をしめていく。
「写真」というものの台頭もまた、既存の描写活動、創作活動から、これからの絵画、アートの在り方について、アーティストも大きく悩んだのかもしれない。
また、世界大戦などさらに混沌化していく時代のなかで、どうしていくことがこれからのアーティストの使命なのかを考えたのだろうとも思う。

現代アートは、確かに写真技術の台頭により、岐路にたって、写実的に表現する以上の存在意味を問われるようになった。
そして今や現代アートは、写真では生み出せない世界観を確立している。

それは、人の想像力をかきたてる、漠然としたものから具体的なものを、巧みに、己のなかで働かすことをうながしているのだと、
巨匠の作品を前に確信をさせてもらった。讃嘆というよりも、今や時代は芸術と人とのコミュニケーションへと進化していたのだ。

リヒターの作品は、「深淵」で、その深淵な世界観にもぐりながら、グレーという作品にみられるように、若き日より、ひたすら彼がなにかに苦闘しているように思えた。
なぜ?なにに苦闘しているのか。
それが私の疑問だった。作品を鑑賞しながら、彼の筆跡や努力の痕跡を見つめながら、対話する。

彼はさまざまな描写方法を生み出していることも見えてくる。多才。

創作の表現として、写真を正確に写し取り、描く対象物の選択の重要性を考えさせれれるフォト・ペインティングや、

絵にした写真の一部をスキージでぼやかし、抽象的なものと混在させるアブストラクト・ペインティング、

あらゆる色を混ぜるとグレイになることから試みられた思考の混沌、グレイ・ペインティング、

写真に油絵具などを塗り付け、再現性と抽象性が拮抗しあう世界観を実現したオイル・オン・フォト、

断片的な線や画を配し、作者の無意識を表現したドローイング、

彼の過去の世界の在り方への憧憬とも言われている静物画、風景画もある。

なんらイメージを固定されていない、ガラスと鏡。

写真と抽象画という異なるものどうしが、活発に同居する世界観。

千差万別の表現、手段を用いて、不思議な現象を引き起こす天才。精密に描かれた絵も、そこへ加えられる抽象的な画法も、「写真」がもつ言語以上の力をもって、鑑賞者に迫ってくる、これはなんだろうか。

彼は、なにかを探しもとめているように思えた。チャレンジともいえるが、それよりももっと深い、渇望のような、切望のような、でもそれが何に対して?そのチャレンジは何のために?

豊田市現代美術館の複雑な白い階段を思考しながらのぼる。そして
彼の苦闘のような作風がある作品から、ガラリと変化した瞬間がみえたように思った。その作品を境にして、がらりと印象が変わったように思えた。彼の作品は葛藤から、実に伸びやかで本当の意味で明るさをもったようにも。

その作品こそが
「ビルケナウ」2014年
「ビルケナウ(写真バージョン)」2015~2019

リヒターは、このビルケナウの作品のもととなる写真について、ある本から彼をインタビューした人の語録を見つけたとき、衝撃を受けた。

「私は、あなたが若い頃、まだドレスデン芸術大学にご在籍だったときに、それらの写真(強制収容所のゾンダーコマンドが命がけで撮影した4枚の告発用写真)をーー少なくともそのうちの一枚か二枚をーーご存じだったとうかがっています。それからほぼ60年間にわたって、これらの写真はあなたの視野の片隅に、あなたの頭のどこかに、あなたの心の深いところにあって、おそらくは、あなたの手が動くよう呼びかけてきました。」
ユリイカ2020/6 p337

彼が実に60年にもわたって抱いていたこの写真。それが意味することとは。2008年にもさらに見つけて、彼はスタジオの中にはって、何年も眺めていたとも。

メディアによってこの収容所の隠し撮りされた写真はセンセーショナルに取り上げられ、興味本位でそれを見るひともいたなかで、彼は、どう感じでいたのだろうか。

リヒターはそれまでも、犯罪の犠牲となった人たちの、日常の様子(昔の笑顔の写真)なども入念に選び、作品にしてた。その理由はこうである。

「リヒター自身が、制作とは、他者の死を、恐怖の対象ではなく弔うべき喪失として「内面化」していく過程と言っているように、彼は犯罪の犠牲となった人たちを写真から精密な画へ描き表現したことには意味があったのである。
フォトペインティングをして、
「リヒターがカメラによって提供された死者や犠牲者のイメージを、突き放した観者の立ち位置から眺めるのではなく、身内のこととして、さらには我が身のこととして受け止めようとしていたのだ。
この心理的プロセスが、意識のコントロールを超えたところで起きているというのである」
同書p90

この、犯罪の犠牲者となられた人たちへの弔いの表現から、このビルケナウはさらに熟考された表現となっていることが重要だ。
ビルケナウのような、モチーフを完全に塗りつぶした抽象画から、私たちはなにを感じられるのだろうか。

彼はどうしても向き合わないといけない歴史を、人類はどう向き合うのか、それをこの抽象画に求めた。ではこのスキージで塗りつぶした色から人は、何をみるのか。

人の無意識に語りかけるコミュニケーションを、私もこの作品の前で立ち、ただ見つめていた。
写真をもとに、こうした理由。
写真とは、永遠なる瞬間をとらえ、表現する芸術でもあるが、そこに映し出された姿のなかに確かに被写体のありのままが凝縮されているのだが、時に、このアウシュビッツの写真のように、直視することで心が痛み、人類のしてきたことへ絶望的な気持ちにもなる写真も存在する。

そして、彼の作品をみる。
直接的に自分に訴えかけてきた写真とは異なり、彼の作品は、確かな形状をもたないがゆえに、普遍的に、永遠に、問い続けることの大切さを私に求めてきているように思えたのだ。
同じ絵をみていて、5分後には、また感じ方が違う。塗り固められたその色あい、スキージの跡。その時その時で、見る場所も感じ方も違う。

リヒターは、この表現により、彼らを「計り知れない、永遠の人類への問いかけ」に昇華させたように思えたのだ、それは固定された感情ではなく、まるで日々被写体の人たちも、現実も刻々と変化していくような、そしてそれに自分が答えていくような。永遠の対話。

あのガラス越しに作品を観たりする形態も、おそらく、彼が目指したのは、「変化」。変化とは、宇宙そのもの。常に流動し、変わっていくもの。

被写体の彼らは、瞬間で切り取られた一場面で留まり終わるのではなく、
刻々と変化する流動という、永遠の流れのなかに、戻されたのだ、あの作品によって。
それはまるで、リヒターが、被写体へも、観る者にも、永遠というものに属したことによる「癒し」を与える瞬間でもあるように思えて、深淵な彼の芸術の海の底に沈んだような感覚になった。

しかしながら、これは私の浅薄ともいえる現代アートの知識でもって、そして、私の感覚、直観での感想である。
果たして、それが本当にそうなのか。実際彼は、どう思って、この作品を作ったのか。それは(下)として、もう一度、書物を読み、考察したい。

ただ思うことは、彼はきっと、この写真を手にしたときから、どうこれを表現し、人類に残すべきかを、自身の人生をかけて成すこととして、様々な描写手法を生み出してきたように思えたのだ。すべてのチャレンジは、この作品を正確に、確実に表現するために。

冒頭のゲーテの詩こそが、私のリヒターへの思いそのものだ。
彼は、自分の使命を成している、生涯をかけて。間断なき、彼の芸術への挑戦へ敬意を。
永遠に、絵と語り合い、自然と語り合い、人と語り合い、歩く日々の豊かさに感謝しつつ。

(余談)
リヒター氏の作品を観ようと愛知県までそのためだけに、介護の隙間時間をぬうように短時間ではあったが行ってよかったと思う旅であったが、そもそもは、推しの松本潤くんが嵐の会報で東京の同展に行った模様がのっていて、そこで「僕が一番好きなアーティスト」と語っていたので、
これは!どうしてなのか、知りたい!という好奇心からであった。

嵐のライブに3回しか行けてないが、演出も素晴らしかった。その源泉もみえるかもしれない。
でもその会報のなかの一文
「いろいろ作品を見ていくと、本当にいろんなアプローチで制作を続けている人なんだよね」
「あらゆる表現にチャレンジしている。そこが俺は好きだし、彼が長きにわたって愛される理由なんだろうね。」
そこが気になった。もちろん、アーティストとして、いろいろな表現方法を追及し最高の作品を常に目指し続けるのは、自然ともいえる。

そのアプローチの模索や、チャレンジの継続、、きっと彼は求め続けていることがあるのではないか。どんな、なにを表現したいのか。本物をみて、それを見つけたいと思ったことが美術館へおもむいた理由でもあった。

個人的な感想なので、正解はわからない。ただリヒターのビルケナウだけは、圧倒的な力でもって眼前に迫ってきた感覚は忘れがたい。

今、松本潤くんも大きな作品に挑戦している。もちろん、ジャンルは違う。しかし彼が目指すものは、「エンタメで人に楽しい、幸せな時間を届けたい」(若いとき、番組で滝にうたれて、そういった言葉を言っているシーンを覚えている)としたら、今の家康公のドラマもまた、そのひとつなのだと思う。
彼の夢の先は、今でもあり、これからも続く。
私は、彼のそのエンタメに癒されてもきたけれど、ただ享受するだけではもったいなく思えて、こうして日本史の勉強をはじめ、いろんなことを学び、アウトプットも(できはどうあれ・・)しているのは、
日々努力する彼や、嵐くんたちを戦友のように思い、応援したいからである。それと自分の見識も深めたいのもある。
リヒター氏のように、家康公のように、彼もまた一人の人として、その一生をかけて成すことがある。
それが、どうか心おきなく、達成できるように、日々健康で、ときにゲームや親しき人たちとの時間で癒されながら、豊かな時間でありますように。

私自身も卒園の時期でもあり、さみしさも感じる時期でもあるが、自分の一生の仕事に明日も踏ん張るのみである。そして子供たちが人生で辛くなったとき、「確かに愛された記憶」が彼らを支えるものになるから、1ミリでもその記憶になれたら。私の命よりも大切な園児たち。

先日、絵を描いている子供たちを見て思ったことがあって、やはり行事って大切だなと。獅子舞や、鬼をみたあとの絵は躍動感が違った。

きっと松本潤くんが美術館をめぐったり、舞台やライブなどに行くのは、自分の心が躍動しないことには、いい作品を生み出せないことを知っているからなのかな。そこから知識を得るというだけでない、「心が動くなにか」を求めているのかなとも思って、その努力の姿勢も、やはり推しだな、と思いました。感動から、感動が生まれる。

とりとめなく、すみません!大河のツイートも、過去にドラマをみたのは2つくらいのレベルで、、とんちんかんなことも書いてしまっているので、本当に応援になるような、そして正直に感動していることを書けたらと思っています。
駄文長文、すみません!またワクワクする学びをしていきたいです!現代アートは難問でした!!

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