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学習と忍耐(2020/5 月報)

 どうも。なんかもう完全に夏ですね。外出頻度が少なくなっているのも相まって完全に季節感がぶっ壊れています。
 私は基本的に興味が散りがちな人種なので、ゲーム制作に作曲、イラストなど、その他色々な制作系の趣味に手を出してみては一瞬で放り投げるというのを繰り返しながら生きているんですが、何をやっても思うのは「こんなに大変なの!?」という一点。いやもう本当今更というか当たり前の話なんですが。

 もちろん、未経験の人間が一発でいきなりプロの制作物に近づけるようなものを作れるなどと思い上がったことは思っていませんが、実際には近づくどころか「制作物」と言えるだけのものを作ることがまず困難。
 どんな分野でも、作品を作るためには学習が必要となるロジックやテクニックが相当量存在しているし、それらを身に着けた上で実施することになる制作過程は、完成物の楽しさや華やかさに反比例するように地味で忍耐の要求される手順の膨大な積み重ねでできている。
 「完成品」のぼんやりしたイメージだけを持ってトライした結果、その道のりの遠さと過酷さに打ちのめされて力尽きるというのが私の定形パターンですが、逆に言えば世間に何らかの作品を発表している人はみんなそういう過程を乗り越えてそこに立っているんだよな……と。

 コロナ禍による在宅期間はこれまでの人生でもトップクラスに大量の「コンテンツ」を摂取している期間だという実感があり、また実際にコンテンツ産業の側も様々なイベントを展開していたりするわけですが、そういうコンテンツ一つ一つの根源には、それぞれの分野に挑んだ人たちの地道な学習と忍耐の積み重ねを成し遂げた精神力があるのだなあと感慨深い気持ちになったりするなどしました。……まあ自分は何もやってないのに何を偉そうにという感がありますが。

ゲーム

Escape from Tarkov

 今年の目標であるところの積みゲー崩しは全く終わっていないですが、近頃友人二人がかなり熱心にプレイしているのでつられて購入。オンラインゲームは機を逃すと楽しめないので仕方ない(言い訳)

 MMO要素を取り入れたリアル系ハードコアFPSという感じで、実質5月以降はほとんどこのゲームに使っちゃってますね……。もう少し遊びこんだタイミングでちゃんとした単独感想記事を書きたい気持ちもありますが、とりあえず現状での印象を書いておくと、荒野を生きる獣のような手触りのゲームだなと。

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 オンライン前提、プレイヤー間強制PvP、死亡時(ほぼ)アイテムロスト、マッチング時のPT・レベル等考慮なしというゲーム仕様で、常に他プレイヤーとの交戦とそれによるアイテムロストに怯えながらプレイすることになります。
 装備や武器の性能差がかなり激しい戦闘バランスのため、運悪く格上プレイヤーと同じ試合にマッチングされ、実際に遭遇してしまった場合、「こちらが相手の胴に10発以上当てても殺せないけどこっちは2発で死ぬ」、というような状況も起こりうるし、そもそもまともな交戦にさえならず、こちらが気づけないような距離から高性能スコープで一方的に狙撃され即死するようなことさえある。ゲーム開始直後の段階でもマッチングは平等なので、この手の熟練プレイヤーに狩られることは避けられない。

 そうした戦闘バランスに加えてショップ関連の仕様もかなり過酷で、初期段階の品揃えは貧弱の一言。フルサイズのアサルトライフルやライフル弾を止められるアーマー、アーマーを抜ける高性能弾などはあらかた存在しないので、ほとんど各所で拾い集めたり死体から奪うことが前提。
 そう考えるとプレイヤーの資産を絞ることで紛争地におけるアイテムの希少性を強調するバランスの方向性なのかと思いきや、ゲーム内システムとしてプレイヤー間で取引を行えるフリーマーケットが存在していて、どんなプレイヤーでも元手さえ用意できれば殆どのアイテムを購入可能。
 全体的な相場感もゲーム内の店での売買価格と比べるとかなり差が開いており、総じて開発者が本来想定していたであろう(店売りから推察できる)アイテムの価値や経済バランスと実体経済がかけ離れてしまっています。

 このようにゲームの難易度・バランスに直結する部分がほとんどプレイヤーの行動に依存する構造になってしまっていて、ゲームバランスが開発者のコントロール下を離れて暴れてしまっている印象。そしてその結果成立した現状のバランスは、基本的に理不尽で、特に初心者・ライトプレイヤーに対してひたすら過酷に働くものになっている。
 優れたゲームの構成要素としてしばしば名前の上がる難易度/学習曲線のような概念や、失敗から学習するためのフィードバックやサポート、初心者向けの救済措置などは存在せず、獣性を露わにしたプレイヤーたちによるむき出しの悪意や敵意がぶつかり合うオンライン荒野。

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 しかしその荒野に獣の一匹として飛び込んでみれば、他プレイヤーの目を盗んで必死にアイテムを収集する緊張感、資産をつぎ込んだ装備をロストするリスクに怯えながらシビアな銃撃戦に挑む高揚感、他プレイヤーを殺害しアイテムを奪い取る瞬間の達成感と、まさに麻薬的な体験の数々を得られます。
 バランス面・システム面での難点は山程あり、そうした問題点がいずれもシステムの根幹、ゲームコンセプトそのものに食い込んでいるものであるため、上げたような問題点・理不尽さが今後のアップデートでどうにかなるとは思えない。そもそも現状はベータ版であり、肝心の完成もいつになるやらさっぱり不明。
 万人には……少なくともパーティプレイ可能なフレンドが存在しない人には……到底勧められないゲームではあるものの、そうしたバランス面の荒々しさも、プレイ中の理不尽さと緊張感も、唯一無二の体験に繋がっていることは確か。
 孤高の獣……とまでは美化できませんが、強い個性と魅力を持った不思議なゲームです。

Helltaker

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 今やオタク界隈ではかなり知れ渡ったゲームになってしまった感があるので細々説明は省きますが、翻訳者のkagerou01gataさんとは以前からTwitterの相互フォロー関係で、オーなんか可愛いキャラのゲームの翻訳をしておられるのだなあとぼんやり見てたらありえないぐらいの勢いで流行ってあちこちから話題流れてくるようになってびっくりした。ので自分でもプレイ。

 だいたい1時間半ぐらいで自力解決して全実績解除までクリアしましたが、コンパクトで引き締まったパズルとスムーズなリトライ、すばらしいBGMになんと言っても魅力的なキャラ。短い中に魅力が詰まった内容でしたね。
 根本的に私は「白/黒/赤」が主体になっているキャラクターが全般的に好みなので、そればっか出てくるのは完全に俺特効という感じ。特にケルベロスとジャスティスさんはすばらしいですね……

 ゲームとして見ると、とにかくゲームシステムの面で「余計なことをしていない」のが大きいなあと思います。ゲーム全体がキャラと会話を見せることに軸足を置いていて、一部を除けばゲーム部分はスキップさえできてしまう。
 キャラ・ストーリー重視のゲーム類では、下手に凝ったゲームシステムが存在していてもかえってストーリーを読む上での邪魔になってしまっているような場合が少なくない印象。
 理解しやすい(というか既に知っている)オーソドックスなシステムと複雑すぎないパズルの内容、気持ちのいい操作感でコンパクトに纏めたHelltakerのゲームパートは、キャラクターを見せるという事を第一義としたゲームにおける正解の一つだよなーと思います。

動画

 最近在宅仕事の合間とか飯の時間などにVTuberの配信や動画を見ていること多くなりました。基本にじさんじの人中心ですが、やはり「めちゃくちゃ話が上手いオタクの友達が喋りながらなんかオタクっぽいことをやってるのを傍から見てる」感が楽しい。オタクの語りを聞くこと自体がそもそも好きなので……

犬山たまき(佃煮のりお)先生 vs 伊東ライフ先生

 という前フリからにじさんじライバー以外で、オタク語りかというとかなりカテゴリの違う動画なんですが、これはすごく面白かった。
 漫画家・イラストレーターとしてかなり名の通ったお二人がイラスト(激うま)を書きながらトークするという内容で、双方のイラスト仕事へのプロ意識や人生観、相互のリスペクトなどが読み取れて、合間に語られるエピソードも外れなく面白い。シンプルにお二人共会話が上手い。

 全体的に会話から会話へのつながりがスムーズでどこをとっても面白い内容ですが、特に「担当編集にガチ恋された→枕営業の噂を流された」「自分の才能の上限を知っているからチャレンジよりも自分の売り方を考える」「イラストレーターTwitterに絵だけ上げとけと言われがち問題/Twitter越しに見るイラストレーターは人間ではなく絵を描く装置としての役割が求められている」あたりの話は本当に面白かった。自分の知らない世界や違った視点からの話というのは勉強にもなるしシンプルに聞いていて楽しいものだなあと思います。

amazarashi『朗読演奏実験空間“新言語秩序” Ver. 1.01』

 完全に6月というかつい昨日のイベントなんですが、期間限定でしばらく無料公開されているので今のうちにぜひという気持ちを込めてここで紹介。
 「新言語秩序」自体は2018年に行われたライブで、私は「音楽自体は好きではあるもののライブやフェスやクラブに行く人種とは確実に波長が合わない」という偏見全開な信条を持っているので、ほとんどその手のイベントには出かけておらず、当然このライブも実際には見に行かなかったんですが、これは現地で見たかったなあと若干後悔しています。それぐらいに素晴らしかった。

 もともとAmazarashiの音楽は好きなんですが、「相互監視による言葉狩り社会を舞台にした言語解放運動としてのライブ」という「新言語秩序」のストーリーに沿って選曲や映像をコントロールすることで、既存の曲に対してさらに別のメッセージ性やストーリーを付与しているのは純粋に見事。
 スマホアプリの連動で会場全体をストーリーに巻き込む演出は一つのアートとして本当に見事で、2時間感情を揺さぶられまくりました。

まとめ

 5月タルコフと動画見ることしかしてねえ!過去最も内容の薄い月報になりましたね。実際本来はこれぐらいの軽さでやりたかったところではあるんですが……
 実際問題、通勤時間中でPCにもゲームにも触れない時間にSpotifyで新しい曲探したり電書で本読んだりという習慣があったので、ずっと在宅だと一つの娯楽をやり続けてしまう傾向がどうしてもある。
 在宅生活内で意識的にそういう事をする時間を作るべきなんだろうとは思いつつ、どうしてもゲームとyoutubeのハードルが低すぎてそればかりに……

 幸か不幸か在宅勤務自体はとりあえず6月いっぱい続きそうで、その後も勤め先の方針として原則リモート推奨の形になるかもという話が出ているので、リモート勤務を一時的な特殊イベントではなく常態になるものと考えて、どこかで生活リズムを考え直さんといかんなあと思っています。
 最近たまの外出の度に体力・持久力の低下を如実に感じているので、疑似通勤電車として30分ぐらい立ちながらスマホで電書読む時間とか作ってみるのも良いかもしれないですね。6月中に色々試してみたいと思います。

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