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COMME des GARÇONSは服の楽しさを教えてくれる。
数日前、こんな記事が出ました。
【追加】ルイ・ヴィトン、川久保玲が手掛けたトートバッグの抽選販売の応募受け付けを開始。一人一点までで、当選者にはLINEのメッセージが送られます。 https://t.co/onwX3B61Y2 pic.twitter.com/C6IijT7N7L
— FASHIONSNAP.COM (@fashionsnap) March 1, 2021
LOUIS VUITTONが川久保玲デザインのトートバッグを発売するというもの。
この企画は多くのデザイナーが参加するのですが、その中でも目玉としてCOMME des GARÇONSの川久保玲の名前がフィーチャーされた訳であります。
確かにこのデザインは彼女が世に出たボロルックを彷彿とさせるもので、非常に分かりやすい作品であると思います。
過去にLOUIS VUITTONとコラボしたものはプレミアが付いて、140万円程度で取引されているようです。
転売目的で今回もかなりの倍率になりそうな予感です…
COMME des GARÇONSは世界一有名な、日本の洋服のメゾンであるというのは間違いないと思っています。
日本だけでなく、世界の主要都市に旗艦店を持つ有名なメゾン。
しかし、僕には不思議で仕方ない事があります。
『ギャルソン着てる日本人って少なくない?』
という事です。
ファッショニスタで最近目立つのがGUCCIやBALENCIAGA、Supremeなどといった所でしょうか?
どれも分かりやすく主張してくれているので瞭然なのかもしれません。
若い世代を中心に圧倒的にCOMME des GARÇONSを着ている人って探さないと見受けられないのです。
時々見られるのがPLAYくらいのもの。
理由は瞭然。
派手過ぎて着られない。
というのが大方の理由なのでしょう。
しかし、僕は昨今のGUCCIの方がよっぽど派手だと思うのです。
全身にロゴマークを入れられたり、ドラえもんが大きく描かれたスゥエットの方が派手だと思う。
僕は実はギャルソンの洋服が派手だと思った事はありません。
そりゃ、蛍光色のシャツだとか大きく絵柄の入ったものなどはケバいとは思います。
しかし、絶対に派手だとは思わないのです。
存在感が過剰なだけ。
だと僕は常々思っています。
よくこんな話を聞きます。
ギャルソンの洋服は主張が強すぎるので、手持ちのものと併せ辛い。
という意見が少なくとも僕の周囲では多い。
何を持ってるかは存じ上げねども、多くの方はそのアイテムの主張に更に主張を重ねようとするのです。
その結果、五月蠅すぎて何の事か分からなくなるようです。
ファッションノイジーとでも言うんでしょうか?知らんけど。
でもこうは考えられないでしょうか?
ギャルソンのアイテムが一つあれば全部何とかしてくれる!
と!
そう考えると極めてお得ではないですか?
十人並みの装いでも、そのたった一つで華やかさを倍増出来るとなればお得ではないですか?
服飾などお得感でするものではないのかもしれませんが、それがあれば劇的に変わると考えれば、凄いのでは?
世の中のオシャレにコストパフォーマンスを気にする方は多いのに、それをどうしてかギャルソンに求める方が少ない気がしています。
確かにモードに属するギャルソンというメゾンはその最新のトータルコーディネートに意味があります。
それはデザイナーの今を完全に表現することには必要不可欠。
一部の隙も許されない完璧な世界を構築せねばならないからです。
しかし、ユーザーは決してデザイナーではない。
自らの世界観を完璧に強く主張する必要性に迫られる事などないのです。
提示されたトータルコーディネートしか認められないのでは、制服と変わらないではありませんか。
僕に言わせれば、そのシーズンのトータルコーディネートで纏めるというのは非常にダサい。
どんなに突飛なデザインで、それに合うものがメゾンから提示されたアイテムのみでも、それに飛び付いて合わせて着用するのは着ていてワクワクはしないんです。
そのデザイナーの主張と自分の主張を擦り合わせながら楽しむという事こそが洋服の楽しみ方なのではないでしょうか?
例えば洋服屋さんに行って気に入ったジャケットがあったとする。
そうすると、必ず店員さんはそれと揃えで似合うパンツを提案してくるでしょう。
そりゃそうです。商売なのですから。
ついでに何か買わせようとするのは、商売人としては当たり前で売れる可能性を追求するのは当然です。
しかし、その提案に無条件で乗ってしまうのは思う壺、掌で転がされているだけなのです。
オリジナリティを追求しようとすると、ギャルソンの洋服というのは刺激的です。
日常の装いに一つスパイスを加えてくれる事によって、今まで所持していた洋服が面白い様にその表情を変えます。
それを楽しむのがCOMME des GARÇONSという洋服の楽しみ方なのではないかと僕は思います。
話が少々変わりますが、僕がある尊敬する先生に言われた言葉があります。
「貴方はいいセンスをしているね。決して変な意味じゃなくて。
他人から受けた影響をそのまま取り入れるんじゃなくて、
自分の中に一度取り込んでから自分が大事だと思った部分を選び取っている。
製作者によって意図されたものとは違う、別解釈とでもいう物を君は体現している。不思議とそこには主張がある」
と。
結局は付き合い方なんだと思うんですよ。洋服でも人でも。
適切なやり方をお互いに探って、幸せにはなれなくとも苦悩はしなくてもいい点を見つける。
そこでお互いがいい所で付き合えば面白いものが生まれたりする訳です。
他人の言葉を借りているみたいで格好悪いが、こういうのが面白いし楽しまなきゃしんどいだろうしね。
そういう意味で、距離感を測るにCOMME des GARÇONSの洋服はうってつけだと思うんだよ。
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