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KIDILLは不安定。

最近になってKIDILLの服を良く着るようになりました。

KIDILLは末安弘明氏が2014年に設立したメゾンです。

末安氏がその影響を受けた音楽や映画、文学などにインスピレーションを受けたものをモチーフにしたコレクションを展開されております。

そのインスピレーションの表現の根本にあるのはパンクやグランジなどのロックを基としたもので、特にパンクテイストなアイテムが数多い。

おそらく海外ではVivienne WestwoodやAlexander Mcqueen、日本ではUNDER COVERやNUMBER(N)INEなどの影響を見て取ることが出来る。

アイテムとしてもユニセックスなものが多く、どのアイテムも男女問わず着用出来るような絶妙の甘さと毒が混ざり合ったようなものが多い。

90年代〜00年代に影響を色濃く受けられている事を感じられるのはそのブランディング方法。

昨今はパリコレに出たり、DOVER STREET MARKETなどにアイテムを卸したりしながらも実店舗としては東京と京都の2店舗のみ。

ここまでの経歴を持つデザイナーがたった2店舗しか実店舗を持たずにブランド展開しているというのはとても驚きです。

コレクションが発表される際にはポップアップを開き、各地で受注会をされるものの、日本でふらりと入ってきた人への販売ではなく自分のデザインしたものを気に入ってくれて見に来てくれた人に販売するという手法を取られています。

昨今、アパレルに関して実店舗を持たずに展開して、コレクション発表の際のみ大都市で受注会を行うというスタイルを取るメゾンがとても増えてきています。

この流れはとてもクレバーなもので、結局既存のビッグネームでないと一定以上の価格の服やアイテムを購入する人間はとても少ないという事を証明している。

実店舗の運営のリスクがとても大きく、そこに大きな魅力がないという事なのでしょう。

そのテイストから一般的になることはないという事は分かるし、仮に一般的になったとしても一過性のブームで終了すると思われているのかもしれません。

この辺りは数多のロックバンドの流れを思わせたりします。

どんなに一時期売れたとしても最後まで残るのはそれ自体を愛してくれる濃いファン。

そこに最初からリーチしていく事で最も効率的な方法で商品を消費者へ届けられる。

これ以上でもこれ以下でもないというお考えなのかな?と個人的に思っています。

恐らくここには00年代の裏原ブームを体感して来られた方の影響かな?と思う。

A BATHING APEやUNDERCOVERを筆頭に原宿通りの裏通りに店を構えるメゾンが90年代後半から増え続けた。

先に挙げたお二人は今や世界的デザイナーとなられた訳ですが、裏原でお店をやられていた際はとても店とは言えないものでした。

というのも、当初から非常にファッショニスタの中で話題になった結果当時気鋭のスタイリストが目を付けた事もあって、商品は常に品切れ状態。

商品が潤沢に並んでいる事は稀で、新商品が販売される際には長蛇の列が出来たそうです。

今ではこういうのって転売ヤーの行列かと思われますが、当時は純粋にそれを欲しい人間が全国各地から集まっていた事からこのような状況になっていたというから凄い事です。

少し話が脱線しましたが、当時のこういう店の接客はとても褒められたものではありませんでした。

店員に商品の説明を求めても満足の行く答えが返ってこないなんていうのは当然で、おおよそ接客という概念そのものがなかった。

それはそうです。だって接客などしなくても商品が売れていくのだから。

必要のない事はしない。それは至極当然の事でもあるし実は原宿で店を構えているメゾンにはこういうところが元々あったりしました。

ただ、それがブランドイメージを多少なりとも毀損したという事は否めない。

いくらパンクやグランジをテーマにしていたとしてもそれは違うと感じられたのかなぁと感じている。

そうやって欲しい人に確実にリーチする事の大切さを思われているからこその措置なのかもしれない。

何書いてるのかちょっと分からなくなってきてしまったけど、とても魅力的なメゾンだということです。

パンクテイストのものというのは社会状況が不安定になると流行ると言われている。

それは昨今は病み可愛いだったり、地雷系などと呼ばれる文化へ向かったことが顕著に現れている。

しかし、KIDILLに関してはパンクカルチャーを強固なものにしようとする意志のようなものがあります。

グランジやパンクには破壊的な意味合いが強く、その装いにもダメージというものが切っても切り離せない表現です。

しかし、KIDILLの服にはそのダメージをそれ以上不要に広がらないような工夫が多くあります。

生地の強いものを使うという手法は勿論、縫製によってほつれや破れを食い止めるような作り方が為されている。

そこに個人的にとてもフェチを感じてしまう。

傷付く事は恥でもないし、隠す事でもないけど、それ以上今は傷つかなくてもいいんじゃね?

と言われている感覚になり、着る人を優しく包み込まれるような感覚になる。

ドエスな感じやな。文章にすると。

だから今結構好きだし、これからも好きなんだろうなって話です。

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