ギターの弾けないギタリスト。

音楽誌GiGSが休刊しました。

1989年に創刊されたこの雑誌は、当時様々なジャンルのバンドのプレイヤーや使用楽器や機材などを紹介したものでした。

しかし、昨今の出版不況に加えて、音楽業界もアイドルやソロシンガーなどに注目が集まり、バンドというものの存在価値が低下している現状。

そしてレコード会社の主たる著作収入がCDからサブスクリプションサービスにほぼ移行した昨今、再生回数がヒットの指針となった事も大きい。

サブスクリプションサービスというフィールドに於いて、再生回数を稼ぐ為の手法としてポップである事と歌モノである事が話題に上りやすく、再生回数が稼ぎやすいと言う事で、その条件の下、多くの楽曲が制作されています。

バンド…特にロックバンドに於いての様式美である『イントロ〜Aメロ〜Bメロ〜サビ〜間奏〜』というものは殆ど聞かれないという事が統計上現れてしまい、バンド側も時代のニーズに合わせた楽曲を制作する流れになっている訳です。

実際、グラミー賞のロック部門に於いても、ノミネート作品はどれもギターソロが短い、若しくは無いという楽曲だったという事が話題にもなりました。

この様な事もあり、バンドでも楽器の演奏者にスポットが当たる事が昨今極端に少なくなったと肌で感じています。

一定の評価を受けて、夏フェスなどでも大きなステージで演奏しているバンドだったり、長く活動しているバンドであっても、フィーチャーされるのはヴォーカリストだけという事態が起こっている。

これは『バンド』という存在の意義を覆す問題であるとさえ言えます。

バンドというものは、各々の個性がぶつかり合う事によってその存在があるものだと思っています。

確かに圧倒的な個性を持つ一人の人間がバンドを率いる例も多いですが、その個性を持つ人間が決してヴォーカリストであるという事は決してなく、寧ろギタリストである事が多い。

多くの場合、ギタリストとヴォーカリストやコンポーザーの個性の出し方のぶつかり合いによって刺激的な音楽が生まれるのがバンドというものの、存在意義ではないかと考えている。

そう思うと、楽器のスタープレイヤーの存在がバンドという文化の活性化には欠かせない要素になってくる。

しかし、昨今の状況もあってか、売れるバンドがあっても決してプレイヤーにスポットが当たる事が殆どない。

これはプレイヤーの質が昔より下がったという事ではない。

寧ろ向上しているし、技術的には難しいことをスラリとできる人達がめちゃくちゃ多くなった印象がある。

個人的にUNISON SQUARE GARDENが出てきた時はそのテクニックの高さに驚嘆しました。

しかし、それでも一般的にその演奏技術の高さにスポットが当たる事は少なく、話題に上るのはベース田淵さんのエキセントリックなパフォーマンスのみだ。

テクニカルな人間は山程居るけれど、その凄さに皆注目しない。

それは何故なのか?

前述したように楽曲制作の制限の都合上というものも確かにあるでしょう。

しかし、僕はその根本的な原因は
『全員が上手すぎてそれをサラッとやっちゃう』
にあると思います。

大袈裟に演奏するという人が極端に減った。

大袈裟にやる事が必死に映り、それがダサいと思われるのかもしれない。

けど、ロックにおいてその大袈裟こそが必須条件なのでもあります。

『ロックンロール・スウィンドル』という言葉があるように、ロックとは虚構の音楽です。

『ギターは顔で弾く』なんていう言葉があるように、自分の見せ場は例えどれだけ演奏が下手くそでもそれ以外の方法も駆使して精一杯観客を魅了する。

その姿に観た人は魅了され、真似したくなり、いつしかその感情は憧れへと昇華される。

その憧れから始まったものがやがて多くのフォロワーを生み、そのジャンルが活性化するのはどんなブームにも共通するものです。

だからバンドのギタリストは実は下手なら下手なだけいいんです。

そうすればそれに憧れる人間が真似しやすくなるんですから。

そうする事で、憧れに近づけた気にもなるし、もっと真似したくなる。

この感情を巧みに利用したのが日本ではLUNA SEAという存在だと僕は思っています。

決して彼らの演奏スキルが低いという訳ではありません。

ただ、LUNA SEAの楽曲、特に初期の楽曲というのは楽曲自体にギミックが施されていても、そのフレーズ自体は至ってシンプル。

楽器で曲を弾きたいというニーズには比較的早い段階で答えられる楽曲が多い。

この結果として、LUNA SEAというバンドのシグニチャーモデルは未だに日本での楽器の最高売り上げを記録しており、この記録は未だ破られていない。

ただ、その下手なギターを下手に見せないだけのものを持たなきゃいけない。

そのモノというのが一般的に『華』と言われるものになってくるんだと思う。

そういう意味では、昨今その『華』のあるプレイヤーというものが居ないと言える。

もっと言うなら弾かなくていいから、楽器持ってそこに居るだけでオッケー!って言える存在って居ますかね?

そういう存在を作らねば、バンドのヴォーカリスト以外に注目されるパートは無くなるのではないでしょうか?

という現状の大きさが今回のGiGSの休刊に感じた事です。

今こそ楽器の弾けないバンドが必要なのです。

それはゴールデンボンバー的な意味ではなく、その弾けなさ加減が格好いいバンド。

誰でも真似できて、フォロワーと共に演奏技術が向上していって『華』のあるバンド。

多分これの最適解を出せる人は、バンドという文化自体を救済する存在になるんじゃないかと思います。

だって、楽器ってそれ自体で格好いいし、弾けなくても弾いている姿は通常の3倍は格好良くなるので、その美しさの底上げの魅力というものは絶対に失われないと思っているので。

採算なんかグッズで取ればいいんです!音楽を売るな!『華』を売ればいいんだ。

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