他人の名前で出ています。

ロゴマークやブランド名が入っているものがどうも苦手です。

特に洋服やバッグに大きくロゴが入っている洋服は敬遠してしまいます。

こと、日本人というのはこのロゴマークというものが非常に好きな傾向が顕著であると思います。

特に他人の目に触れるバッグやトップスなどにロゴマークが付いているものを凄く好まれているようでもある。

実はこれって凄く間抜けな事だと思うんですよね。

常に名札を付けられたものを身に纏っているようなものなのに。

もうかなり前になりますが、Supremeのボックスロゴが劇的に広まったのを目の当たりにした時に僕は感じました。

『ダ、ダセェ…』

と。

特に白いTシャツに赤いボックスの中に白字で『Supreme』ってショップの紙袋じゃん!と思ったものです。

元々ボックスロゴは昔からあるものだったのですが、
Supremeの場合はこのロゴをCalvin Kleinの宣伝ポスターに貼った事がキッカケになってバズったという歴史がある。

だから結局の所紙袋のデザインをTシャツにしてみました!っていう程度のものだという理解を僕はしています。

それを皆有り難がって着用するのだから面白いですよね。

有名人が着用してそれを宣伝する訳ではなく、そのメゾンに大きく関わり合いの無い人がそういう洋服を好んで着用するのは、無料の宣伝活動に勤しまれているのだなーご苦労な事だとしか思えないのは、考え方として歪んでるんだろうと思います。

僕は高級な洋服やバッグというのは基本的に贅沢品だという認識です。

それがなければ命の危機になる訳でもなければ、罰せられる訳でもありません。

しかし、多くの人にとっては他人を殴る武器であるのだろうという認識もあります。

名の知れた高級なメゾンのものを持っているという事で、不特定多数に対して自分の経済力を見せつける事によって優越感を得る。

という側面が少なからずあると思う。

そういう認識で購入する方々のおかげで、様々なメゾンが成り立っているのだろうと思いますから感謝しないといけないのでしょうね。

何故、こういう話をしたかと言いますと、先程全身Gucciのモノグラムのコーディネートで固められた方とすれ違ったのです。

サンドイッチマンか!と思ってしまった。

確かにGucciのデザイナーであるアレッサンドロ・ミケーレはGucciにクラシカルなアメカジスタイルを融合させたというのは、Gucciにおける革命でもあり、ストリートへの進出を加速させたという功績があります。

お陰でここ数年のGucciの売り上げは非常に良いのですから。

ただ、それはスタイルとして提唱したのであって、実際にストリートでこれをやってたら格好悪いのです。

ストリートで主張されるべきは独自性であり、他人の名前を借りて自分をよく見せようというスタイルははっきり言ってダサい。

洋服は独自性を際立たせるものであり、飽くまでスパイスで、メインになっては成立しない。

結局人の名前を使わなきゃ商売やアイデンティティを保てないんだなーと思ってしまいます。

はい!歪んでますね。認識が。

他人の美意識をとやかくは言いませんが、僕の美意識の中では格好悪いですよ?っていうお話でした。

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