バンギャファッションって何よ?
『バンギャ』という存在が一体いつからこの名称で呼ばれ、カテゴライズされてきたのか?
とふと思ってちょこちょこと見てみたら結構それをカテゴライズするのは困難だという所に行き着きました。
恐らく、それまでファンと呼ばれていた人達が世のバンドブームにより多くのバンドが生まれた結果としてそのファンを呼ぶ呼称として定着したと考えるのが普通なのですが、見た目には殆ど分からないのが現状。
様々なカルチャーと結び付いた結果として今や多くの形態があり、その形態にバンド側が乗っかっている場合もあって収集が付かない。
という訳で自分なりに時代ごとにその歴史っていうものを見ていくのは面白いかな?と思ってちょっと解釈を書こうと思う。
長くなりそうなので、適当に端折る。
そもそも、バンギャをバンギャとして音楽だけでなくファッションの上でそうさせて行った日本でのパイオニアはBOØWYではないかと思っています。
LAST GIGS.の際に着用した衣装が当時その存在感を世界的に知らしめていたJean Paul GAULTIERでした。
これは、当時GAULTIERとライセンス契約をしていたオンワードとのタイアップで実現したものであり、その衣装はとても当時のBOØWYを象徴するものでありました。
またその着用アイテムを一般にも販売する手法でそれまでファッションに敏感であったとは言えない存在に興味を持たせる事に成功したとも思っています。
そして、何より大きかったのが
「本人が着用しているものと同じものを買える」
という事でした。
それが購買意欲を刺激した結果、ファンの中にはそれらを完璧に揃える人たちが少人数出てくる。
そして、それらの人たちの行き着く先は好きなバンドマンとの同一化。
つまり…
完コス!!!!!!
という事でバンドファンにコスという文化が流れ込んだと推察されます。
その文化を更に加速させたのは当時のX(後のX JAPAN)ではないでしょうか?
当時のXはその見た目の派手さやカリスマ性によって、コスをする人が続出。
ヴィジュアル系という文化にコスを根付かせたパイオニアであるとも言える。
しかし、当時のバンギャは決してファッションに明るいとは言えなかった為、彼らが着用しているアイテムを特定する事は困難だった上に、実際その殆どは国内で手に入れることが困難なものでした。
しかし、そんな事では心折れない人たちは何とそれらを自作する事に走ります。
その多くは安価な婦人服屋さんで目ぼしいものを見つけ、それをカスタマイズする事でそれっぽく見せる。
そしてその文化を決定づけたのがLUNA SEAではないでしょうか?
X JAPANとはまた違ったアプローチで耽美的な表現を駆使した事は多くのファンに衝撃を与え、それこそコスの情熱をこれでもかと煽った事でしょう。
特にファンの多かったであろう弦楽器隊の御三方のコスは今でも本当に多いことからも当時はとても多かったであろうことが想像できます。
そして、LUNA SEAが圧倒的な人気を獲得した事により、ヴィジュアル系によるコスプレの文化が定着化したと思われます。
そして、その文化が一気にファッショナブルな面に舵を切る出来事が、X JAPAN解散後におけるhideさんの動きでした。
当時hideさんはいち早くソロを再始動させ、その過程で1996年に自身が気に入ったものを集めた『LEMONed』というレーベルを始動させています。
そこで今や彼のソロでのトレードマークとなるジャージをリリースされた事が一つの起点なのではないかと思っています。
事実このアイテムは今日までとても高い人気を誇っており、再販の度に品切れになる程のものです。
ここでアーティスト本人がオフィシャルと認めて衣装をリリースするという礎を築いたのではないでしょうか?
そして奇しくも彼の旅立ちによって世間ではブームが到来。
大人気バンドが数多く輩出される中で、ファッション面を担ったのはSHAZNAのIZAMさんではないでしょうか?
その中性的な出で立ちから、ファンは彼の真似をしてみたいと思う方が続出。
そしてその中で彼がVivienne Westwoodを多く身に付けていることが誰の目にも明らかだった事によってそこからVivienne Westwoodの国内人気にも火が付く事になります。
それ以前にはL'Arc〜en〜Cielのtetsuyaさんも多く身につけておられた事から認知はあったと思われますが、界隈での認知を大きくしたのは間違いなくIZAMさんの影響が大きいのではないかと思われます。
そして、ここから大きくなって動きとしてバンドマンが自身のプロフィールに好きなメゾンを書き始めた事が大きいと思われます。
それによって多くのバンドファンは推しのバンドマンの好きなメゾンを知る事によって結果としてそのメゾンの魅力を知る事になっていく。
そこからファッションに興味を持つようになって、それらのメゾンの服を好む人がバンドが好きという事になってそれが『バンギャファッション』と括られる最初なのではないかと考察します。
そして、『バンギャファッション』のカテゴライズを明確にしたのはDir en grey(現DIR EN GREY)なのではないかと思っています。
デビュー前からその衣装を外注し、そのレプリカを販売するという手法を取り入れた事によって、コスをしたい人を完全に分けたのがバンギャファッションを成立させる上でとても大きかったのではないかと思う。
完全にコスプレとファッションを区別させた事がファンの在り方を変えたのではないでしょうか?
そんなバンドブームの中で、00年代のバンギャをファッショナブルにしたのはこのムーヴメントに影響を受けたデザイナーがメゾンを設立して行った事ではないでしょうか?
これらのメゾンに共通するのはそれまでに無かったゴシックの要素を持ち込んだ事にあります。
いち早くこのムーヴメントに乗ったのが当時MALICE MIZERのMana様が立ち上げられたMoi-même-Moitié。
当時のMALICE MIZERの世界観が比較的華やかであった中、黒と青を基調としたアイテムを打ち出した事によってその世界観を表現。
当時、ゴシックを打ち出すメゾンはあったとは言え、ネームバリューがあったとは言えず、またバンドマンがプロデュースするものということで根付くのに多大な貢献をしたとも言え、
この事でこのメゾンを表現する言葉としてMana様が『Gothic&Lolita』という言葉を用いた事から今日の『ゴスロリ』という言葉が生まれたそうです。
それに追随するかのように00年代はゴシック要素を取り入れたメゾンが数多く誕生し、成功を収めて行きます。
h.Naoto.BLACK PEACE NOW.ATELIER BOZ.などなど。
それまで決して一般的でなかったゴシック要素を取り入れたものがバンギャを中心に大人気になっていく。
そこからそれまでゴシック愛好家の間で有名であったalice auaaに注目が集まり、ロリータにもその注目が集まり出した事から今日のロリータファッションの流行にもつながる事になっていった。
そうしたムーヴメントが起こった後、所謂バンギャが愛好する服をバンドマンが着る事によってファンがそれを買うという現象が起こり始め、それに目を付けたメゾン側がミュージシャンにコラボを持ちかけた事から更にその波は大きくなったとも言える。
また、バンギャとはそもそもその文化の中でメンバーに認知してもらうという野望を持っている人も少なくない。
ステージからも目立つような格好という事でそれらを身に付けていたのに似たような格好の人間が多くなってしまうとその意味合いが薄れる。
そうなると目立つ様相…となり、当時派手の代名詞であったギャルへ注目する。
しかし、普通のギャルでは多くのバンドが提唱する黒い世界観とは合わなくなってしまう。
↑こう考えるのがバンギャの可愛いところでもある。
そうなった結果、夜のお姉さんたちのような格好に行き着き、流行の人口増加に一役買う。
バンギャがファッションをリードしてきていたのはこの辺りまでであり、ここからはバンドの提唱している世界観に合った服装をしようという動きになり、REFLEM.Lafary.TRAVAS TOKYO.LISTEN FLAVORなどの所謂地雷系と呼ばれるものに傾倒している印象がある。
これにはバンド側が聞く人たちの傾向として、不安定な精神状態の人たちに寄り添うという曲が一定の人気を得ると考えてそういう曲を作り、それが結果として成功しているという事に他ならないであろう。
と、まぁ簡単に書いてみただけでもこんなに系統がある訳で、ここに独自で枝分かれして行ったものを加えていたら収拾がつかないのでこの辺にしておく。
なので、バンギャファッションはその言葉が示すものは決して一定ではないのだ。
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