「同じ結果が待っていますよ」と、もしも神さまに言われても
note創作大賞2024の中間選考に落ちた。
何にせよコンテストに挑戦するならこういう体験はつきものだ、ということは、十二分に理解していた。
だからこの結果を見たとき、自覚できる感想としては「あー、通らなかったかあ、狭き門だったもんなあ」という程度だった。
もちろん残念、すごく残念だけれど、でも仕方ない、何かに挑戦する以上こういうことはつきものだもんね、と。
でも、この軽い感想に反して、身体はもう少し強く反応した。
◇ 言葉がこだまする
まず、脳がバグった。
たとえば、「今日の夕ごはんはレバニラにしよう」と考えると、その言葉が意味もなく頭の中で反響する。
「きょうのゆうごはんはればにらにしよう、きょうのゆうごはんはればにらにしよう、きょうのゆうごはんは…」という具合に。
続けて「レバーとニラともやしを買ってこなくちゃ」と考えれば、「ればーとにらともやしをかってこなくちゃ、ればーとにらともやしをかってこなくちゃ、ればーとにらともやしを…」というこだまが、さっきのこだまの上に重なってしまう。
たちまち、意味のあることは何も考えられなくなった。
買い物メモが頭の中でこだましているにも関わらず、他の言葉と折り重なってわんわんと響くものだから何ひとつ役に立たず、レバーの代わりにモツを買ってきてしまったりする始末。
(その日の夕食は、否応なくレバニラからもつ鍋に変更になった。)
買ってきたきゅうりを冷凍庫に入れてかちこちに凍らせてしまったり、もつ鍋を煮込んでいる隣のコンロでお味噌汁を作ってしまったりもした(「具だくさんで美味しそうじゃん、明日の朝いただくよ」と言ってくれた夫、ありがとう)。
とにかく脳が機能不全。
自分の頭が、空っぽの洞窟になってしまったような気がした。
このあたりで、あれ、なんかおかしいな、と気づき始める。
◇ ごはんが食べられない
気がつくと、食事が摂れなくなっていた。
昼を過ぎても夜を過ぎても、おなかがへらない。
へらないだけでなく、食べ物が喉を通らない。
食べようとして何かを口に含んでみても、一口ごくんと飲み下すのにとても苦労してしまう。
わたしは元来くいしんぼうなので、これにはほんとうに驚いてしまった。
ここに至って、ようやく思い知る。
―—― あれ、なんかわたし、もしかしてショック状態?
◇ 気持ちに向き合う
これではいけない、生活に支障がでる。
そう思って、やるべきことを一旦すべて脇に置き、なにはともあれとりあえず1時間、自分のためだけの時間をとることにした。
一人になれる部屋へ行き、目を閉じて深呼吸をする。
何を考えても言葉がこだまするので、考えることは諦め、時計の音に耳を澄ましてみる。
かちこち、かちこち、かちこち、かちこち…。
しばらくすると、言葉のこだまが消え、頭の中が静かになった。
そのまま静けさを味わってから、みぞおちの奥のほうにある自分の気持ちを感じてみる。
「悲しい」のとも、少し違う。
「悔しい」のとも、少し違う。
……一番ぴったりなのは、「がーーん」だな。
そんなふうに思って、思わず少し笑ってしまう。
「がーん」って。
なにそれ、語彙が小学生。
でも仕方ない、それがぴったりなんだもん。
笑ったら、気持ちがふっと軽くなった。
がーん。
落ちちゃった。
…あーあ、残念だったな。
そのまま、ベッドにごろんと大の字になる。
身体が緩むのがわかり、涙がでた。
◇ もしも時間が巻き戻せても、同じ挑戦をわたしは選ぶ
―— わたしはこの挑戦を、後悔している?
しばらくごろんと寝転がっていると、自分自身へのそんな質問が、自然に浮かび上がってきた。
もう、言葉はこだましない。
―— わたしは、この挑戦を後悔している?
―— もしも過去に戻れたら、「コンテストに参加しない」という道を選ぶ?
自分の内から返ってきた答えは、はっきりと「No!」だった。
「後悔しているか」?
我ながら愚問すぎて、笑ってしまう。
時間を操れる神さまだか妖精だかが、もしも時間を巻き戻してくれたとして。
そしてもしも、「もう一度やり直しても、このコンテストの結果は変わらない」と言われたとして。
それでもわたしは、また同じ挑戦をするだろう。
note創作大賞2024に、同じ作品で、迷わず応募するだろう。
コンテストに挑戦するプロセスで経験したたくさんの感情や出会いは、わたしの宝物。
あれを経験しない道を選ぶなんて、あの宝物を見ない道を選ぶなんて、あり得ない。
はっきりと、そう思った。
◇ 宝物はひかりを放つ
note創作大賞は、公開コンテスト。
ひっそりと応募しひっそりと受賞または落選する一般的な文学賞とは違い、結果が出る前にも後にも、そして審査員のかた以外にも、広く自分の作品を読んでもらうことができ、感想をいただくことさえできる。
そのプロセスでわたしが得たもの、それはまさに「宝物」と表現するほかないものだった。
「誰にも見てもらえないかもしれない」と思いながらも、「挑戦してみよう」と決め、音楽&小説作品『おはよう、私』をエントリーした、あの日。
少しずつ、本当に少しずつ「スキ」をつけてくださる方が増え、「見つけてもらえた」という嬉しさにどきどきした、あの日々。
作品への感想をいただいて嬉しくて泣いた、いくつもの夜。
シンガーソングライターの坂本櫻さんが作品に歌声をつけてくださることになり、その歌声に震えた日。
この挑戦がなければ出会えなかった、たくさんの方たちとの出会いと感情のやりとり、胸の震え。
そのすべてが、わたしの人生の計り知れない宝物になった。
胸の中できらきらと輝きを放ち、思い返すたびにわたしをあたためてくれる宝物。
時間が巻き戻され、再びこの挑戦のスタート地点に戻ったとして、結果が同じだったとしても、わたしはこの宝物と出会うために、また同じ道を選ぶだろう。
この挑戦のプロセス自体が、どんな金品にも勝る価値のあるものだったから。
◇ 新しい宝物を、また見にいこう
応援してくださった方たちに良いご報告ができなかったことは、今もとても残念に思っている。
「読んでみてください」とたくさんの方々にお知らせし、お時間と心を使って読んでくださった方たち。
その方たちに、「中間選考、通りました」とご報告できたらどんなに良かっただろう。
けれど、読んでいただけたこと、素晴らしい感想をいただいたこと(すべての感想が、わたしの宝物です)、そして作品を通してわたしと出会ってくださったことの、そのどれもが大切すぎて、このコンテストに挑戦して本当に本当によかったと、心から思う。
少し休んでたっぷり充電したら、また新しい挑戦をしてみたい。
そこで出会う新しい宝物を、この目でまた見てみたい。
いまは、そんなふうに思っています。
音楽&小説作品『おはよう、私』をお読みいただいた皆さま、応援してくださった皆さま、素晴らしい感想をくださった皆さま。
改めて、本当に心から、ありがとうございました。
そして、この素晴らしい挑戦の道中をずっと一緒に走ってくれたJagaさん、美しい歌声で作品を新たなフェーズに連れて行ってくださった坂本櫻さん。
ほんとうにほんとうに、ありがとうございました!
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この記事内でお話ししたnote創作大賞2024応募作『おはよう、私』のマガジンはこちらです
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小説『おはよう、私』はこの音楽から生まれました。
Jagaさんが紡ぐ美しいメロディーと歌詞、そして坂本櫻さんの透明な歌声!
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