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これからもその笑みが溢れんことを

今日は大好きな友人の誕生日だった。

朝目を覚ますとスマホの液晶にはその人の誕生日であることを示すFacebookの通知が。

朝からいきなりすぐにおめでとうというのもなんかがっつき過ぎてる気がするし、
何より大切な人におめでとうを伝えるというイベントを一日の序盤に済ましてしまうのがもったいなく感じたので、とりあえず送るのは後にした。

日も落ちて帰り道、最近はクールダウンもかねてゆっくり歩きながら家に帰ることにしている。冷えた手でスマホを取り出し、音楽を再生したり、徐に画面をスワイプしては画面を閉じる無意味な動きを繰り返していると朝の出来事を思い出した。

大切な友達とはいえ、高校も違く大学はお互い地元を離れていたので普段頻繁に会うことはなくlineでたまに連絡することがあるかどうか。もともとそんなに積極的な方ではないのでこの気を逃せば日付が変わってしまうので、次にスマホをポケットから取り出した時に、lineを送った。

しばらくすると

(私の名前)!!

と返信が始まった。

その人は、用があるときの最初のlineも私から送ったラインへの返信の第一声でさえ、〇〇‼︎と名前を呼ぶことから始まる。

その少し突発的なメッセージとその人の明るい性格からいつもその最初のメーッセージの字面を見るだけで、その人の声が想起させられる。その人は、とても笑顔が素敵な人で、その人が写ってる写真は名前を体現するがごとく満面の笑みが咲いている。
(笑むには花が開くという意味があるらしい)
私はその人の笑っている写真を見るのが好きだ。

私は、昔から下の名前で呼ばれることが多い(その点では親にも感謝している)。呼び名は小学校、中学校、高校、大学と過ごしている学校、属しているコミュニティによって様々で、私のことを呼ぶ呼び方でどの時に出会った友達か分かるのも私がちょっぴり誇らしとこでもある。
なので、昔の頃の友達でいまだに関係が続いている人はごくわずかなので、小学校の頃の懐かしい呼び名でその人に呼ばれると、少しドキッとする。


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