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第二十四回教養強化合宿雑感

※これは2022年8月22日~30日の間に行われた外山恒一による第二十四回教養強化合宿についての雑感を主にこれから参加を検討している方向けに記した記事です。

 合宿がどんなものであるかは歴代の参加者が詳細に書いてくれているので、自分はそのへんはなるべく省いてしまって、講義以外のことについて書くことにする。
 はじめに簡単に自己紹介を書く。関東の国立大学の学部三年で芸術論を専攻しており、映画サークルの会長をしたり小説や詩歌の論作をやったり、政治青年というよりはサブカル寄りの学生で、参加の動機はリベラルな空気感にうんざりしたもののどう振る舞うべきか悩んだため。
 さっさと本筋に戻す。まず全体の雰囲気がどんなものかについて言うと、それは毎回ことなる十数人でなされる以上どんな雰囲気になるかはほぼガチャ。一部がひたすら現代思想問答をしてそれ以外が浮くとかはいつでも有り得そう。それに仲良くなれないひととか決定的に対立するひともいるかもしれない。というか、攻撃的に対抗するかは別としてぜったいに一人はいると思う。けれど共同生活のなかで対立しているなりにある程度は適切な距離感とコミュニケーションを取れるようになることはできるし、そういう体験をあまりしてきていないタイプなら経験しておいて損はないんじゃないかしらと思う。それはまさに自分のことで、なるべく単独でことを完結させたがるきらいがあり、演習の講義なんかでは班員を無視してつい自分でほとんどの仕事をやってしまってきたのだけど、生活をする分には達成するべき目標はないし10日間限りだし、とここではそれなりに気楽に関わることが出来た。ちょいちょいピりつく議論もあったけど。同年代と熱の入った話をなかなかできないネクラぽい傾向なら特に、ひとの話を聞くことさえできれば講義の内容と同等に得るものはある。ただまあ、同年代との共同生活になれていたり中高生の頃から友だちと遊んだり腹を割った話をしてきているならこれとはまた違うところに目が行くと思う。どのみちあまり出会わないタイプが多いのはそうだからその意味では楽しめることでしょう。地方国立とかでクネクネしてる人とか、おススメです。全員クネクネしたら知らない!

 メンバーのひとりには自分は信念あるいはマイルールで嫌いでなくてはならないと思っているタイプの人がいた(これはあなたのことではありません)。結局ふつうに話せるようになったけれど、これまでは同じタイプの人に出会ったら取り敢えずはじいてきたのにめずらしくチャレンジしたこともあってこれは今までにない体験だった。十日間決して広くない空間でタールなりアルコールなりを共有していたらそういうコミュニケーションが成り立つこともあるらしい。そもそも偏見に基づいた信念あるいはマイルールなのだからやめちまえというだけの話だけれど、すんなりやめられたら世話は無いことで、でも結果どうにかなったのだから、こういう性質があるひとなんかにも臆さないでほしい。
 他のメンバーともそれぞれ仲良くさせてもらい、一緒に自分の好きな詩である石垣りん「雪崩のとき」を読んだり、以前から作品を読んでいたひとがいたり、人格に関するもっともな指摘をもらったり煙草を教えてもらったりしていた。また悪ふざけの思い出としては、前回の第二十三回は参加者の大半が流行病に冒されたときいて自分たちもそうなるだろうと腹を括り、誰から発症するかを賭ける「罹患ダービー」を提案してみたりもした(が、今回はだれひとり出走することなく健康に終わった)。

 上記のようなことも含めて、連日とにかく時間をかけて色々な話をした。欲望に関する話なんかは自分のことでなくとも口を閉ざしてきたのだけど酒を入れたら周囲の雰囲気も相まって意見をあるていど開陳することができ、それについてのフィードバックもあって大変良かった。みんな話を聞いてくれて、みんな話を聞いてくれるなあと素朴に感動したのを覚えている。また今回は創作をやっている人もわりと多く、そのへんにまつわる悩みとか問題意識を共有できるひとがいたのも素直に嬉しかった。(以下追記)創作に関しては、自分は創作も一人ではじめから終わりまでやれることしかしてこず演劇部を費用だけ払って雲隠れしたりしてきているのだけど最近は限界を感じつつあって、それがここでの学習と生活から別の可能性が開けたような感触がある。別に共同制作にシフトするというわけでもなく、また別のかたちのことを考えられるようになった。

 あれこれ書きつつ、こういう書きぶりだけ見るとなんだかとてもポピュラーなイベントっぽくて、ガツガツやっていくぜという雰囲気を期待してるひとには肩透かしなのかもという部分があるのはそう。それについては、『平成転向論』(講談社)の小峰ひずみの下記のツイートを合宿前に見て思うところがあったりなかったりしていた。振り返ってみると、合宿を通じて得たものを踏まえると(参加者の側からいうのもまた変なのかもしれないけれど)自分としてはおおむねの所は小峰の言うことに納得している。ちなみにここでいう得たものというのは、ひとまず言える範囲で言えば、いつの日か電撃的に外部から到来する革命に反応できる反射神経みたいなものを養う素地をつくっておくこと、というか、厳密な部分ではここで得た膨大な量の情報とその雰囲気から肉体的に翻訳して得るほとんどジャーゴンのようなものである部分が大きく、無闇に言えばよいというものではないということだけひとまず付言しておく。


 まあこのツイートを事前に見てしまった人はあんまり行かないような気がする。自分は質的劣化を進めている、と思いながら参加するひとはそういないだろうし、そう思いたがるひともいないことだろう。生で目撃したいという人間はともかくとして。いずれにしろ、どんな意図を持つにしても、いきおいで参加に踏み切るもヨシ参加者のnoteとか周辺の雰囲気を洗ってわかった気になるもまあヨシという感じ。とはいえ行くだけ行ったらいいとは思う。いちおう言っておくと自分が参加を決めた時このツイートなことは忘れていたから決断に影響することはほとんどなかった。
 さいごに、外山さんをはじめ同期のみんなと炊事係をしてくれたMさんにはとても感謝しております。ありがとうございました。勝手にやらせていただきます。


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