水彩スケッチ帖さんと『汀さん』|つぶやき


 今回は、水彩スケッチ帖さんが描かれた『電車内で』という絵と、それに触発されて物語を書いた顛末を。

↑この記事のタイトル画像です。

 水彩スケッチ帖さんの絵は、突き詰めたリアリズムだったり叙情的なスケッチだったり、その時々でさまざまな世界を垣間見せてくださいます。そして、どの絵からも、豊かな陰影を感じます。

 都会の景色であっても、その外側に広がる自然の優しげな風情が伝わってきますし、木々や田園などの緑からはダイレクトに、『朧月夜』で歌われている穏やかな絶景を思い浮かべます。

菜の花畑に 入り日うすれ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて 匂い淡し
 詞:高野辰之

(魂がいくつもあるなら、
 ひとつはここにかえりたい
 でもひとつしかないのなら
 ちょっと別のところへ...🙄)

 さて。
 佳い絵を見ると、向こう側の世界にふっと入り込むことも多いのですが、今回話題にしたい『電車内で』という絵に関しては、「ふっと」入るというよりは、別の空間に引きずり込まれた(紳士的に)感じでした🤔


 描かれたのは"絵を描いている手元"。その手がまたその向こうに絵を描き、描かれた手がさらに絵を描く――新たな空間を作りつつ、どんどんミニチュアに、果てはミクロに、"無限小"という"永遠のフーガ"になっていく...


 まずその一段階目、
「自分を描いている自分を描く」がとても興味深かったので、私もチャレンジしてみようかな? と思ったのです。

 ふだん詩を書いているとき、意識的に書くこともあるものの、どちらかというと"無意識に何も考えず"につづることも多くて。
 スマホの、指先でタップする感覚とタップ音、画面に表れる文字の魔法...なのかもしれませんが。

 《無意識=汀さんのハート》と読み替え、それ以外の《技術的にことばを組み立てる私=管理人》としました。


 いつしか、noterさんたちへの捧げもの...という要素もからめたストーリーになっていきました。


 繊細で、日常の雑事とは相容れず、どこか孤独で気高く、そして時を超えていく性質を持つ"創作者たち"。ちょっと(私らしく)ネガティブ路線になりましたが、それは儚さを愛するがゆえ。そんな表現者たちへの想いを込めて♡


 汀さんにフォーカスしているようで、実はその奥にいる他者を描きだしている。私と他者はつながっているから(※)。
 その意図はいつも持っているつもりなのですが――成功しているかどうか、心もとないところです🤔
(失敗すると、ただの"自己愛"になるのよね)


 自分をdisるのもシニカルな楽しさがあるようなないような...地雷を踏まないように、ブラックホールにすいこまれないように、そろそろと気をつけつつ...本来それは、客観的でありたい意図、なのですから😊

 こうしてできた物語。

 私自身はとても愉しくつづることができました。得難い時間をすごすきっかけをくださった水彩さんに特大の感謝を込めて(^^)/☆

(※)虚子
「一つ根に離れ浮く葉や春の水」
――みたいに、ひとつひとつの個性がつながっていくといいな(^^)

#水彩スケッチ帖さん
#noterさんたちへ

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