『玻璃の月』感想をいただいたので、ついでに考えてみた話
麻衣です!さんが、『玻璃の月』の感想を、声で届けてくれました♡
ふだんは"麻衣ちゃん"と呼んでいますが、ここでは "麻衣さん" で(^^)
合否判定を待つような、手に汗を握るドキドキ感。
麻衣さんは鉄壁のほめ上手ですから、はじめから安心していれば良いものを(^^ゞ
いろいろ励ましてもらったのだけど、一番うれしかったのは、魔女に注目してくれたこと。さすが、よくわかってらっしゃる。
魔女の台詞を演じてくれているのがすごくうれしくて、感激でした♪
魔女役は麻衣さんに決定(?)
いつもありがとうね。
さてさて。
私はこの頃滅多に小説を読まなくなっています。
『玻璃の月』のあとがき(魔女のところ)を書きながら、そして麻衣さんの音声配信を振り返りながら、どうしてかなあと考えていました。
(自作ならなおさらですが)小説の感想をじっくり拝聴すると、そのひとが小説に何を求めているのか、人によって様々なのだなあと思う。
私はたぶん、小説に求めているものと、ミュージカルやバレエ、演劇などの、いわゆる舞台芸術に求めているものが、同じなのではないかと思うのです。
そうなると、生身の演者が視覚や聴覚、また熱量という意味では皮膚感覚に訴えかけてくる舞台のほうが、文字+自分の想像力の産物である小説よりも、作用として飛び道具並みに強力なのは否めません。
いや、でもね、いつも "ことばが好き"、つまりは "精神性大好き" と言っている私が、小説より舞台(肉体性)が好きって、矛盾してない? と自問して、窮地に立たされるのですが...(^^;
それはともかく。
読むのはたいてい人文科学系の教養書的なものが多い私。
自分ではたまに小説も書くし、詩(短詩含む)やエッセイ的な雑文もあれこれ日記のように書きますが――そこに通底するものはなんなのだろう? なにをしたくて書いているのだろう? と時々首をかしげます。
「書くのが好き」という以外にも、なにか答えがあるんじゃないかな、と思って。
(あ、もしかして、考えるのが好きなのかもね?)
(たとえば、絵を描きながら、というより描くことを通して、考えを深めることってできるのだろうか?🤔💕>絵を描かれるみなさま)
いつもサポートくださり、ありがとうございます。 お気持ち、心よりありがたく拝受し、励みとしております。