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「人間の安全保障」について

国家の安全保障というのは、一種の領土内における安全である。従来の方法で、たとえばミサイルをつくるといった計画では、国家の安全は守り切れない。社会の安定という要素を重視する必要があるのである。しかも、それは国内のことばかりでは、まったく不十分である。各地において、とりわけ紛争地域において、社会的な公正が非常に重要である。なぜなら、社会構造の不公正が、政治問題化し、紛争が起こる場合が多々あるからである。

人間の安全保障とは、国家の安全保障を補完するものとして考え出されたものであり、そこでは国の安全から人間の安全へと、視点が移っている。2000年に開かれたミレニアムサミットでアナン事務総長は、人間は恐怖からの自由と、欠乏からの自由を享受すべきであると強調し、紛争と貧困からの解放は、人間の安全保障の二大目標となった。日本政府も、人間の安全保障を外交政策の柱としている。

紛争と貧困は、悪循環の関係にある。人間の安全保障は、人権、安全保障、人道、開発といった包括的なアプローチが必要であり、弱者を保護するだけでなく、自力で脅威に対応できるように能力を強化するエンパワーメントが重要となる。大切なのは、お互いに協力して、下からの社会づくりをやっていくというプロセスであり、そういう努力は、その人たちにとっても大事であり、その後の国づくりにつながっていく。

武力に訴えてテロの撲滅を目指す場合、自分たちが選ぶ手段の正当性、および現実的にどのような結果と副次的効果を派生させるのかを、とりわけ人道的な観点から、よく再考すべきである。なぜなら、目的は、現実的な結果とその副次的効果を意識することによって、はじめて十分に明確となるからである。

<参考文献>:東野真『緒方貞子――難民支援の現場から』

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