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一生会いたくないけど数年に1回思い出すあのこ

時々夢に出てくる元同級生のあのこ

わがままで振り回されっぱなしだった

なんで仲良くなったんだろう?・・・いつ??覚えてない。

中学校にあがるとき私は物心ついて初めてショートカットにした。思いの外似合っていた。

派手な女の子たちから声をかけられる地味な性格の私。気付いたら同じグループにいたのかな。すぐ仲良くなった。笑いのツボが合って、当時の主任をネタにしたクラスメイトが出てくる漫画を描いて回した。

中2に上がる時に、あの子ともまた同じクラスになった。そして、小学校の時、わたしと犬猿の仲だったきのこちゃんと同じクラスに。早々にわたしのジャージが隠されたり不穏だったけれど、そんな雰囲気を跳ね飛ばしてくれたのもあの子だった。きのこちゃんとは和解して、大人になった今でも時々実家に帰る時には声をかけるくらい今では稀有な存在ではある。きのこちゃんは、今の私のトラウマもサブカルも作ったと言っていいくらい両極端な影響をくれた。でもその話はまた今度。

中2の時、当時は陰キャという言葉は無かったけれど間違いなく陰キャであった私は、なぜかあの子ときのこちゃんを含めた総勢8人仲良しグループと一緒に居た。一見陽気に振舞うことは容易に出来るんだけど、自分の部屋でひとり湖池屋のり塩を食べながら漫画を読んでる時間が一番幸せだったあの頃...でも、私のこと影で守ってくれていたのもあの子だったのかも。でも、同じくらい私を振り回していたのもあの子だった。

あの子は、わたしのことを「親友」と呼んでいた。わたしも「親友」だと思っていた。大切なことは大切だったけれど、その当時の女学生故の儚いものだったようにも思う。あの子は、笑のツボがあって、楽しい時は本当に楽しくて、情にも熱くて励まされることもたくさんあった。くだらないこともたくさんやって本当に楽しかった。でもその反面、わたしがいやだ。と言うことでもそれが、「笑い」に替えられたら止めなかった。

わたしがあの子にだけ勇気を出して話した恥ずかしいエピソードや、うっかり話など、今思えばかわいいもんだったろうと思うんだけど、「あられちゃんこの前こんなことしたんだよ〜」とわたしをネタにして笑いを取りに行っていた。私の好きな人の前でも。どんなに止めてよって行っても「あられちゃんの焦る姿おかしいからもっと言いたくなる」って言って止めないから、「もう友達辞めよう。私グループから抜けるわ」って手紙を書いたことがあったんだけど、それすら同じグループの子に「あられちゃんからこんな手紙貰ったけど、無理だよね〜。私から離れるなんてさ。」って笑われた。あんまり覚えてないけど、たくさん暴言もあった。理不尽無わがままも。きのこちゃんに相談したら、結局あられちゃんに甘えてるんだよね。うちらが言っても聞かないもん。と言われた。あの時の私はどうすればよかったんだろう。今も分からない。

そして中3のクラス替え。私たちはばらばらになった。私はようやく自分を取り戻したかのように生き生きとふらふらした。今でも、特定の誰かから依存されるとすごくこわくなる。

体育や移動学習のとき一緒に肩を並べて歩くグループには所属しているけど、わたしはグループとか関係なく気の合う人と話したかった。音楽の話はこの子と。恋話はこの子と。昨日見たテレビの話はこの子と。たわいない話はあなたと。気づいたら、あの子とも一緒に朝学校に行かなくなった。代わりに、幼馴染のピースケとよく一緒に行くようになった。

私はよく遅刻した。理由はくだらないこと。朝のポンキッキーズが辞められなかったんだ。当時ポンキッキーズはサブカル色全開で、鈴木蘭々と安室ちゃんと市川実和子のうさぎから「おっはよ〜!」と言われると、ギリギリまでテレビの前で粘ってしまう。だから、同じように朝起きられなくて結局遅刻してしまうピースケとは、近所だし幼馴染だしでよく一緒に登校するようになった。うちの学校はなぜか朝授業が始まる前に合唱の時間があるのだけど、いつもその時間にピースケと滑り込んだ。西川のりおに似ていた則巻先生には一回も怒られなかった。怒られにくい雰囲気を出すことがこの当時のわたしに与えられた一種の才能だった。ここで運を使いすぎたから、社会人になってすごい苦労した。新卒で協調性の無さは、死ぬほど先輩から怒られた。

話は飛んでピースケは、私と同じグループの陽キャの中の陽キャであり、この子のこと嫌いな子なんていないんじゃないのかな...と今でもコンプレックスを刺激されるけどわたしだって好きに決まってる!笑顔の可愛いみどりちゃんと付き合ってた。中1の時からずっと。

でも、不良っぽいピースケと優等生のみどりちゃん。やっと同じクラスになれたけど、二人はすぐ別れてしまった。ピースケがみどりちゃんのことを振ったのだ。(そのあとみどりちゃんはシャ乱Qのシングルベッドを聴きながらずっと泣いていたこともわたしは忘れないよ...記憶力お化けだよ)

ここまで読んだ人はわたしとピースケが付き合うと思う?あ、思わない?思わないよな。そもそも友達の好きな人だしな...そう。ピースケはクラス1の美少女あかねちんと付き合い始めた。無慈悲な...みどりちゃんは本当に素敵な女の子だったから、それ以後もあかねちゃんとは表向きは笑顔で接していた。時々、辛そうにぽろぽろと言葉をこぼすのだけれど、二人の悪口も絶対言わなかった。そういうところもわたしがみどりちゃんに憧れる理由だ。ただし、ボロカスに悪口を言っちゃう人も愛おしくて好き。みどりちゃんは、みどりちゃんのプライドがあった。そこを遵守していて中学生のわたしはみどりちゃんを尊敬した。ピースケも、みどりちゃんのそんなところが好きだったはずなのにね。

そして、わたしの好きな人はこれまた優等生の木緑くんだった。私は当時は天湖森夜のような色白でカリスマ性のある美少年好きだった為、地黒の木緑くんのことは最初は全然好みではなかったんだけど、修学旅行の時の写真が販売の為廊下に貼られていたのを見た瞬間、木緑くんに恋に落ちた。(即買った)

本当しょうもない。私は地方の田舎に住んでいたので、修学旅行先は東京。原宿のタレントショップ()を回ったり、ディズニーランドに行きました。よく覚えてないけど、クルージングみたいなのにも乗った。中学のいつも遊んでる友達と非日常の船に乗るという体験。大変楽しい修学旅行だった。ホテルで当時放映していた、ママレードボーイをみんなで観たのも楽しかった。それなのに、木緑くんはそのへんの銅像の前でそれの真似をして写ってて、「は?それ地元でも撮れるがや」って、あまりにもばかばかしくて笑ってたら、気付いたら好きになっていた(文字にすると全然良さが伝わりませんね...精進します)

ところで木緑くんはずっと学年ではちゃめちゃにかわいいあおいちゃんのことを好きだったんだよね。わかるよ。わたしも中1であおいちゃんと同じクラスだった時、こんな可愛い子がおったんかい。。。ってびっくりしたもん。

「透明感」「清純」「照れ屋」「色が白い」「目が茶色い」「背が高い」「頭がいい」「物静か」

自分と真逆の存在であるあおいちゃん。その存在が尊すぎて、仲良くなりたかったけど、もじもじして仲良くなれなかったあおいちゃん。擦れた自分とは合わないだろうなと思ってた。そう。正解。私たちは永遠に仲良くなることはなかった。(あおいちゃんのことはこれでおしまい。今は二児のママだそうです。相変わらず可愛いんだろうな。)

片思いでも幸せだったな。

毎日マイバースデーを片手におまじないばっかかけてた我が青春時代よ。多分わたしが木緑くんのこと好きだったのなんて世界中にバレバレだったんだよな。放課後はテニス部の木緑くんを目で追う日々。(テニス部ってとこがまた良いんです!!!わたしは中学の時好きになる男子は軒並みテニス部でした)中学生って口軽いやん?「あられちゃん木緑くんのこと好きなんだよ」とかすぐ言うやん??私はこうみえてピュアなので好きな人とはまともに話せなかったりするんだけど、木緑くんとはすごく普通に話せたんだよな。木緑くんと話す一つ一つを宝物のように噛み締めて毎晩日記に書いてた。そして、木緑くんと同じ塾に通うきのこちゃんから、時々「木緑くん今日こんな感じだったよ」ってイラスト付きの(木緑くんの今日のファッション!ジャーン!私服ダサいけど今日は張り切ってニューバランス履いてる!とか描いてある 笑)手紙を貰ってにこにこしていた。中学生女子って基本ストーカーだよね。それでわたしはお腹いっぱいになってた。全然片思いで幸せだった。

でも、そこでやっっっっっと登場のあの子の存在だよね。

ここでもあの子はわたしにいろいろいらんこと言ってくるんだよね。木緑くんのこと好きになったのは7月。気付いたらバレンタインも過ぎていた。わたしは結局もじもじして、木緑くんにはチョコ渡せなかった。「あられちゃん?そんで?いつ木緑くんに告白するの?あられちゃんっていっつも待ってばっかりだよね。行動したら??」

さすが中学生。てめえは?逆に?毎回告白ばっかしてんじゃんかよ??でも振られまくってんじゃん??

とは言えなかった。和を大切にしたいタイプなので。でも、あの子の発言にそんなわたしでもお尻に火がついた。そうだ。好きだって言おう。当時の自分、心の強さ半端ない。お母さんも妹たちも居間にいるのにすぐ隣の廊下へ電話を引っ張って、そこで学級連絡網の書いてあるプリントを手に震えながら木緑くんの家に電話をかける。携帯電話もピッチもない時代を生きることが出来たことを、いま敢えて誇りに思う。

長くなりそうなのでつづく

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