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"戦い"に参加しなかったらBuddiesを名乗れないようになったりするのだろうか

  • 発売日前にTYPE-A~Dを1枚ずつ予約購入

  • ミーグリ、生写真、直筆サイン、抽選系キャンペーンは基本的に興味が無い

  • MVは見たいと思ったときに見る

  • 他人への布教は特にしない。あくまで個人の趣味。

こんな私は今回の「ランキングを懸けた戦い」ではBuddies失格なのだろうか?
非国民や戦犯だったりするのだろうか。

MV公開やドーム公演のあたりでは「MVいいね」「ドーム公演すごかったね」といったBuddiesの反応を見るためにXやYouTubeのコメント欄を見ていたけれど、日を追うごとにそのコメントの様相が変わっていき「呼びかけ」「気合い入れ」「あと何回再生、あと何枚」で埋まるようになっていった。

途中からはコメント欄もXもほとんど見ないようにしたものの、
「Buddiesなら戦うのが当然」
「社会人なら学生よりもお金持ってるから積めるはず」
「CD大して買わずにライブに来る奴は迷惑」
「クレカで分割払いしてでも頑張ろう」
「Buddiesが一つになろう」
…いろんな言葉が目に入った。

積み増しもせず"戦い"を静観していた私は「Buddiesが一つになる」のを乱したことになるのだろうか。
CDを何十枚単位で買ったり、周囲への熱心な布教やMVを1日何回転させたり、各所へのリクエストを日々やらないといけなかったのだろうか。

"グループに対しての貢献度が低い"と言われるのだろうか?
そんな"貢献度の低いBuddies"はBuddiesを名乗るな、みたいな流れに今後なっていくのだろうか。
メンバーは1人がCDを何十枚も買わないと喜んでくれないのだろうか。


私は今の距離感と推し方を変えるつもりはないけれど、時間やお金をあるだけ推し活に注がないと貢献度が低いとか、貢献度でファンの上下関係が付くようなファンダムに、もし、もしもなっていくのだとしたら寂しいなとは思う。どうなっていくのかは分からないけれど。

おそらく秋のアニラの前には次のシングルが出るのではないかと思う。その時に今度は「前作(9th)超えは必達目標」みたいな呼びかけが出るのだろうか。

買いたくてCDを買った人達を批判や揶揄する意図は無い。
逆に私のように"戦い"に参加しなかった人間はBuddiesではない、という空気感をなんとなく感じただけの話だ。

メンバーがいつも言う"Buddies"と、Buddies個々が思う"Buddies"はひょっとしたら少し違うのかもしれない。

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