ただの「ファン」である自分の在り方

久しぶりに思ったこと言葉にしようと思ってメモに書き出してから、そういえばここをそういう用途にしてたことを思い出したので移動してきた。


浮奇くんのとこがなんか荒れてるらしい。
誰か?へのリプ?が燃えたっぽい?という超絶曖昧なことしか分からないんだけど、こっから数日休暇とるらしい。ゆっくり休んでほしい🫂

で、そのことをちょっと調べてて考えたこと。

ENの誰かに何かあるたびにモヤっとしたりざわついたり、自分の精神衛生的には良くないなとは思ってるんだけど、でもそうやって一喜一憂できてるうちが花だなとも思うんだよな。

普段自分のことで落ち込むことってあんまりなくて、それってたぶん原因もその先どうにかするのも基本自分だからで、自分の力が及ぶからなんだなって気づいた。
「推し」たちのことは、わたしの力ではどうにもできなくて本人たちが本人たちで解決しないと仕方ないから。アンチとか心無いこと言う奴らは滅べと思うけど、思うだけで実際に滅ぼすのは無理だし。

こっからはちょっと自分語りだけど。

自分が対人関係に対して割と無関心な自覚がある。よっぽど仲良いとか大事だと思わない限り別に切れたっていいなぁと思ってるし、むしろほどほどで切りたいとすら思ってるかも。
初対面の人に結構ペラペラパーソナルなことまで喋るのは、話のネタになるからってのももちろんだけど多分そのほうが「私はあなたのこと警戒してませんよ」アピールになって軽い空気にしやすいからかもしれん。だってそのほうが話題選ばずに話し続けやすくて、気まずくなるタイミング減らせるもん。
で、別に話したところで今後二度と会わねーしな、と思ってるのもあるな。

そんで、意見合わないなとか価値観違うなと思ったらソッコー切り捨てられる。関心なくなる。
それが友達とか家族なら話は別だけどインターネット上の誰かとかその場限りの人であれば、事を荒立てることで消費する気力が無駄に感じてしまうから流してしまえる。いちいち突っかからない、めんどいから。だからわざわざ粗探ししてまで誹謗中傷するような人とは一生分かり合えない多分。そんな奴はゴミだからってのもあるけど、嫌いなものに対してそこまでの時間と労力割けることに対して純粋に理解が及ばない……

とこんな感じだから、「他人」である「推し」のことで嬉しくなったり悲しくなったり出来ててよかったな自分、と思った深夜。それすらなくなったらもはや人の心無いもんな……

これは最近ずっと思ってるし言ってることだけど、「ファン」が「推し」に対してできることは「応援する」ことだけなんだよ。でもその応援が1番大事なんだよ。絵心があるわけでもその他の創作の才があるわけでもないので伝え方が単純な言葉しかないけど、「どう言葉にするか」を考えるのは得意なほうだと思ってるから、あとは届ける勇気だけが必要。それが一番入手難易度高いけど。


浮奇くんも「自分を一番に大事にして」って言ってたし「俺もそうするように努力する」って言ってたから、このモヤっとをうまく消化して笑顔でおかえり言えるように頑張ります、わたしも。

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