ネコ対カラスを見届けて

映画「ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦」を観た。

 ハイキュー自体は2014年ぐらいから好きで、連載していた頃は本誌こそ買っていなかったけれど、単行本は全て初版で持っている。

 昔から、ハイキューに触れるたび自分も部活がやりたくなる。そして、自分の部活時代を思い出す。


 ここで軽く自分のことを先に書いておく。

 私はバレーボールではなく、バスケットボールをしていた。

 ほんとうは、小学生の時からやりたかった。でも、中学受験をすると決めて塾に入ったから少年団に入る時間はなかった。

 女子バスケ部があるとホームページで見たから入学したはずの中学に、いざ入ってみたら男子部しか存在しなかった。だからたまたま出会った仲間4人で男子部に飛び込んで、最初の一年はマネージャーみたいなことをして過ごした。本当はちゃんと練習したいのに、女子が男子に混ざるのは難しいことが多くて、なかなか練習できなかった。
 だから、やりたいのに思うように活動できない悔しさを、日向に重ねてしまう。

 高校でもバスケがやりたかった。でもうちの高校はいわゆる強豪校で、推薦入学の人しか入部できなかった。でも球技がやりたかったから、バスケ部時代の友達と一緒にソフトボール部に入った。本当にやりたかったこととは違ったけれど、それはそれでちゃんと、一生懸命にやっていた。後悔はないと言い切れる。でも、どちらかというと勉強に重きを置く校風のせいもあって、先輩はほぼいないし部員も人数ギリギリで、練習できることにも限りがあった。
 だから、高校に入ってたくさんの仲間と、やりたかったバレーができる日向が羨ましかった。

 大学では絶対に、部活でバスケをするんだと入学前から決めていた。ちゃんと教えてもらって、ちゃんと試合がしたかった。
 でもいざ入部すると、初心者同然の自分は何一つわからないしついていけなかった。周りは小学生の頃から続けていて、中学でも高校でも本格的にやってきた人ばかり。今思えば、先輩たちもよく見捨てずに教えてくれたと思う。周りの人からは、「よく大学から始めようと思ったね」と言われることが常だった。

 3年になってようやく自分たちの代、これから頑張って行くぞと気合を入れた直後、例の流行病にすべての機会を奪われた。結局春からほとんど部活ができないまま、試合自体も無くなって、何も成せないまま不完全燃焼で引退してしまった。

 それでも、バスケが好きだからやってきた。今でも好きだから、辞めたくないから社会人チームで細々とではあるけれど続けている。

閑話休題、映画の話に戻る。


 今回映画になった音駒戦は、日向たちが1年時の春高バレーの三回戦。お互いかつての強豪どうし。練習試合や合宿も一緒にやってきた、友達でありライバルであり師弟。作中でも初期から「ネコ対カラス ゴミ捨て場の決戦」として、いつか実現したい対戦として描かれてきた。

 私のハイキューにおける好きなところの一つはどの学校、誰と誰の関係性にも信念と物語があることだ。音駒の主将・黒尾とセッター・研磨の関係性は、烏野の面々にも劣らないほど詳細に語られているし、主将どうし、リベロどうし、セッターどうしなど、同じポジションだからこそわかる相手の凄さや技術、向上心への尊敬がきちんと描写としてある。それが映画という限られた時間の中で、端折られずに描かれていたことがとても嬉しかった。

 日向と研磨は、180度タイプの違う人間だと思っている。バレーが大好きで上手くなることに貪欲で何を差し置いてもバレーがやりたいし勝ちたい日向に対して、運動別に好きじゃない、疲れたくないし家でゲームしてたいけどクロがやってるからやってる勝ち負け興味ない研磨。全然相入れない2人だけど、だからこそお互いにおもしろいな!と思ったのがふたりを友達たらしめている要因で、作中でトラにも「お前らってライバルなのか?」と言われているけれど、そして研磨が答えているけれど「ただの友達」なところがすごくいいなと思う。

 黒尾と研磨の関係性はハイキュー中でも特に好きだ。
 黒尾にとって研磨は、バレーボールを「教えた」相手では多分ない。ひとりで行く勇気がなかった見学に、誘えるかも!と思ったお隣の幼馴染。引っ越したばかりで友達がいなかった自分と、バレーをやってくれる最初の友達。
 このクロと研磨の回想シーン、原作では「昔はクロの方が引っ込み思案だったっていってもたぶん誰も信じないし本人もたぶん覚えてない」という入りだったのに対して、映画では「クロは昔から相手をその気にさせるのがうまかった」となっていた。そして「褒められて喜んでしまったのが運の尽き」という一言が追加されていた。これは映画的なテンポを考えた結果かも知れないけれど、原作のモノローグも映画のモノローグもどちらも研磨の想いとして正しいもので、両方を読んで観たからこそ味わえたプラス要素だった。
 何度も何度も「バレーやろ!」と誘いにくるクロにイヤイヤ付き合っていたんじゃあなくて、研磨も研磨なりにバレーボールを楽しんでいたことは、漫画よりも映像になることでよりよく分かる描写になっていたように思う。誘いに来たクロに、笑ってゲームをやめて立ち上がった研磨の後ろ、月刊バリボーが無造作に置かれているシーンは、本筋とは関係ない些細なシーンなはずだけれど、わたしにはすごく印象的だった。

 「別に以外のこと言わせてやるからな!」と研磨に啖呵を切った日向を見て、黒尾は嬉しかったんじゃないかな。試合中に必死になってる研磨のことは見てる余裕なかったかもしれないけど、ぺしゃっと潰れて「たーのしー…」と呟いた研磨を見て、黒尾は嬉しかったろうな。それを聞いてハッとする音駒の仲間たちと、黒尾の高笑いで私は思わず泣いた。
 試合が終わって、「クロ、俺にバレーボール教えてくれてありがとう」と言ったのは紛れもなく研磨の本心で、それが聞けただけで研磨との今までが全て報われたんじゃなかろうか。今改めて考えれば、これが黒尾にとって初めての「誰かにバレーのおもしろさを伝える喜び」で、未来の姿への大きなきっかけじゃなかろうか。

 研磨は研磨で、昔クロが「好きなことなら一生懸命やるから大丈夫」と言ってくれたことはすごく大きな意味があっただろうな。人付き合いが得意じゃなくて、外遊びよりも家でゲームをする方が好きなことを分かっていて、そんな自分を尊重してくれる。あの瞬間にクロに対しての信頼が生まれただろうことは、階段の影で聞いていた研磨のあの表情だけで察するに余りある。
「クロがただのパリピ風野郎なら一緒にやってない」。研磨のこの一言に全てが集約されているなと思う。一緒にやろうって言うけれどそれは研磨も楽しいことだからなこと、自分をちゃんとわかってくれている上でバレーやろうぜって言っていること。飄々と軽いことを言うけれど昔はそうじゃなかったこと、半ば無理やり引き込んだから今だって研磨にはちょっと過保護なこと。研磨はそれをわかっているからクロとバレーをやっていて、きっとキッカケがクロじゃなかったら研磨はバレーを続けていない。

 及川と岩泉や日向と影山は、まさしく「相棒」だと思う。絶対的なセッターとスパイカー。クロと研磨も、相棒には違いないんだろう。でも昔からこのふたりには、もっと相応しい呼び方がある気がしている。それはたぶんクロがスパイカーというよりはブロッカーだからで、研磨が決めたいところで必ずしも使うのがクロじゃないから。前の2組とは在り方が違う。なんだろう、このふたりにぴったりの言葉。

 最後のラリー、研磨の視点で研磨の息遣いと周りの喧騒だけが聞こえてくる画面が体感3分は続いた。研磨が普段コートのどこを見て、何を考えて試合をしているのかを追体験する時間だった。これは「映像」であることを最大限に活かした見せ方で、単純に「すげー!!」と思った。実際にはおそらく1分と少しだろうけれど、とても濃い一瞬だった。

 漫画ではどうしてもわかりづらいバレーボールという競技のスピード感と、会場の明るさや周りの音が五感でダイレクトに伝わってくる映像という媒体、そしてこの作品の中で色んな意味を持つ「ゴミ捨て場の決戦」という大事な試合を途切れることなく魅せるのに映画という媒体は最適で、全体としてとても良かったなぁと思う。総合的な感想は、観に行ってよかった、これに尽きる。


 ハイキューに触れると、自分もバスケがしたくなる。というより、部活がしたくなる。先輩や後輩と限られた時間の中で何かを目指して頑張ったあの時間は本当にかけがえのないもので、ハイキューのみんなを見ていたら、自分ももっと頑張ればよかっただとか、試合をもっと楽しめたらよかっただとか、今更なことを考える。でも作中で言われているように、「本当に楽しむためには強さがいる」。残念ながら私は現役時代、強くなれる環境にはあまり恵まれなかった。それが悔しいし、もっと早くからやっていたらもっと楽しめたかなと思うけど、それも今更。
だから、強くなる環境があって全力でバレーをできる日向たちが眩しいし、それと同じぐらい羨ましくて、そんな感情も含めてハイキューが好きだ。


 種類は違うけれど、同じ体育館競技だから夏の体育館のむせ返るような暑さがすごく分かる。汗で床もボールも滑るよな。上見上げたら照明が眩しくて見づらいんだ。そういうちょっとした、運動部だったからこそ、球技だったからこそ、体育館競技だったからこそ共感できることがすごくたくさんある。

 バレーボールではなかったけれど、同じように部活動を頑張ってきたからこそ、自分の実感を伴ってハイキュー!!という作品を楽しめることは、すごく幸運なことだと思う。一漫画作品、アニメ作品に対して大袈裟だと思う人もいるかもしれないけれど、誰がなんと言おうと、あの頃の自分を鮮明に思い起こさせてくれるものとの出会いは貴重で、かけがえのないものだ。
 この幸運を私はこれからも抱きしめていきたい。

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