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2020/12/07 山本信記tp,synth 高岡大祐tuba,椅子 石原雄治ds,per 元町SPACE EAUUU

この三人では2回かな、以前にライブをしていて最初からすごく感触が良かったので続けたいなあ、といっていたところにコロナ来訪、関東在住の雄治と僕は往来のこともあり3月を最後に途絶えていたのをやっとやりましょう!ということになって、信記のホームグラウンドであるSEにお願いしてもらった。

この日は信記にDJもお願いしてあって、60年代インドネシアのポップス中心にプレイ、これがまた良かった…。この頃の音質って素晴らしい。


一部は三人全員せーので。
静かなざわめき。この三人、初めてなんの打ち合わせもなくやったときから、不思議とスカやレゲエ、ダブ的な即興演奏になって面白かった。それは間違いなく信記のセンスで、彼が参加しているpopoや故・大原裕のスカバンドなどから繋がる彼自身のルーツ的なサウンドの影響。音数より音色がカラーを明らかにつくっていく。


二部は信記のシンセからお願いした。彼が得意とするOP-1と小さなリズムボックスの可愛らしい世界、そこに雄治が参加。これが素晴らしく面白かった!リズムボックスが奏でるビートを伴奏の様にしてスネアに共鳴させた小さなシンバルを弓弾きしたサウンドは、まるでダクソフォンのように喋っていて、リズム的アプローチから開放された時の雄治の持ち味が最大限生かされていた。
そこに高岡も入る。一部に比べて明らかにエネルギーも音量も高まってきた。

ふとそこにある椅子が目に入った。木の小さな椅子とコンクリートの床はいかにも良い音が出そうで、tuba吹きながら手元に寄せてきて、最終的には椅子だけ演奏しているシーンが続いた。無茶苦茶楽しい。
(この椅子演奏は、前のDead Man's Liquorのライブのゴッチに影響されている)


雄治の手数と音量が天井知らずに上がってきた。今日は幸い階下のお店はお休みだ。いくぞ。信記も張り上げるように吹き鳴らし始めた。最初のサウンドと全く違う!思い切った。


最後にやったのはちょうど半年前だった。次が楽しみだ、と言い合ってやっとできたら今年の終わりになってしまった。色々なことを思い出す。この半年のこと、昔からのこと。これがやりたかった!それが溢れたライブとなった。

この御時世、お客さんは少数精鋭で顔見知りも多く、差し入れで日本酒を頂いたりしてありがたく頂戴しながら久々の人たちと話す。江崎さんが来てくれたのが嬉しかった。
信記と江崎さんと僕らが大原さんのバンドで一緒にやってたのがもう20年から25年も前のことなんて、未だに信じがたい。ついこないだのような気もする。
色んなことがそれぞれにあって、今もこうして音楽で結びついていることには、大きな感謝を覚える。
長い付き合いの人ばっかしやから、結構昔の話たくさんになったりして、ちょっと申し訳ないなあと思いつつ、それらの時にいなかった雄治にも共有してもらいたいことが沢山ある。起こったことではなくて、かたちのないものを。それはきっと音楽のエッセンスに残る。

やれてよかった。
感染症の拡大は進み、またしてもどうなるかわからないけど、音楽を続けるにはどうしたらいいか、考えながら先に進みたい。

これが今年最後の関西ライブになった。それで良かった。
今年は滅多に会えなかった母親も観に来てくれた。母は僕のライブを観るのが何より楽しみ、という人なので、だけどいい歳ではあるし色々と心配だったが、来てくれたことは素直に嬉しいし、楽しんでもらえたのは、僕ができる数少ない親孝行であると思う。

この三人を、バンドにすることになりました。バンド名、決めかねていてずっと考えていたのだけど、この日の演奏中に、ふっと頭に浮かんだ。

昔、大原裕ブラスバンドをやっていたとき「オハラ2」という奇妙な名前の曲があった。オオハラでもオーハラでもなくオハラ。
自分の名前を曲のタイトルにするなんて変わったオッサンやなあ、と思っていたけれど、これがいいと頭に直感が打ち響いた。

後で信記に相談したらオハラはスペイン語で
ojaláと表記するそうだ。
「うまくいけば」「そうあったらいいのに」
希望を意味する言葉らしい。

大原さん
アホやなあ
自分の名前と希望をかけとったんやろうな
アホやなあ

そうなんやったら
なあ。

俺らが続けるよ。

ojalá Ⅲ オハラ トリオ
山本信記
高岡大祐
石原雄治

大原さんが亡くなって17年と数日たったこの日に名前が決まりました。
次からが楽しみです。
一番大切なもの、希望。

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